昭和10年代の文献などは検索を掛けては拾って行っていたのだが、一昨年末に国立国会図書館デジタルコレクションが全文検索出来るようになって、かなりの数の未見の資料が引っ掛かるようになった。それ以前に引っ掛けていて未見、もしくは一応見たけれども詳しくメモしていないものも、相当数溜まっている。もちろん新しい方でも探索を怠らない。新しい方は雑誌でなければ、都下の図書館でも何処かしら所蔵している。今、私は勤務先と居住する市と隣接する市で7つの市の図書館の貸出券を作っている。都内に勤めていた頃に8つの区の図書館の貸出券を使っていた*1。今年度から出身大学の図書館の、卒業生の利用が再開されたので、先日4年振りに出掛けて、もう後期試験も終わっているから静かなもので長居は出来なかったが殆ど人のいない館内を縦横に、まぁ詰まらん資料を漁って歩いた。見たかった資料の何が大学図書館で借りられたか、もう忘れているが追々思い出して、4月の頭に再訪する際には閲覧出来るように準備して、行こうと思う。
さて、その4年振りの大学図書館で筆写したり複写を取ったりした、早い時期の赤マントの資料もあるのだが、そちらはもう少し調べて置きたいことがあるので、今日は新しい方、隣の市の図書館で借りた本を取り上げて置こう。
・松尾羊一『テレビ遊步道』メトロポリタン・A5判上製本
版元名、奥付には「発行所 * 株式会社 メトロポリタン」とありカバー表紙の下部、カバー背表紙最下部には「METROPOLITAN」とあるので上記のようにしたが、カバー裏表紙には「発行:メトロポリタン出版」、奥付裏の目録には「メトロポリタン出版の本」とある。(Ⅱ)401~405頁「おわりに」の最後にある謝辞にも、405頁5~6行め「‥‥、メトロポリタン出版の方々に厚く感謝いたします。」とあるから「メトロポリタン出版」とすべきかも知れない。
・(Ⅰ) 1991~1995(2001年5月31日 第1版第1刷発行・定価3,000円・333頁)
丁度私が20代だった頃のテレビ時評で、読んでいて色々と思い出すことがあるのだが、当時、私が見ていたのは朝の連続テレビ小説と夜7時台のバラエティ、大河ドラマ、そして風呂上がりに火照りを冷ましながらつけっぱなしにしていた深夜番組なので、ここで取り上げられている単発ドラマ・連続ドラマ・ドキュメンタリー番組は残念ながらその殆どを見ていない。しかしドラマの設定・社会背景などはよく分かる。いや、何となく分かる。そして、今の若い連中には、分からないだろうと思うし、今の政治家連中は綺麗に忘れているのだろうと思う。
さて、赤マント流言に触れているのは(Ⅱ)92~173頁「一九九七年」の、まづ131頁、1~11行め、
断髪から茶髪へ 七月四日
「ぜいたくは敵だ!」「パーマネントはやめませう!」の立て看板がやけに目につ/いていたころだ。下町の子供たちは「赤マント」出現の恐怖におびえ(要するにデ/マ)、その一方でワルガキは洋装の女性が通るたびに一斉にからかったものだ。
「パーマネントはやめましょうッ!」と唱和するとぐっと睨みかえす女性の反応が/おもしろいからだ(いまごろになって私も反省してる)。軍靴の音高鳴る昭和十四/~十五年ころである。
* *
朝の連続テレビ小説『あぐり』。彼女もいよいよ独立し、美容院をひらく。しかし、ワ/ルガキどころではない。大日本帝国防婦人会のお歴々が率先して「……やめませ/う!」のビラをウエーブの洋装女性に手渡すような、いやな時代が目の前だった。*2
「あぐり」は見ていて、修士課程の同期の野郎がはしゃぐように感想を語っていたのを思い出す。感想の具体的な内容は忘れてしまったが。大日本国防婦人会については以前調べたことがある。権力に批判的な空気のあった大阪が維新みたいな政党に引っ掛かっているのは何故なのか、と云う疑問を有名作家が Twitter(現・X)で表明していたことがあったけれども、何せ大阪は国防婦人会発祥の地ですから。しかし「大日本帝国防婦人会」とはどう切って読めば良いのか分からない。パーマネント排撃の世相については、当ブログでは新美南吉が書き留めた鉄道の怪異談に関連して2012年4月21日付「終電車の幽霊(2)」に触れている。
さて、ここに松尾氏は赤マント流言に怯えた体験と、その大体の時期について触れているのだが、この取り上げ方は簡略に過ぎたので、もう1回取り上げている。次回それに触れつつ、当時の松尾氏の状況についても検証して見ることとしよう。
*1:都内に住んでいた学生時分には別に2つの区の貸出券を使っていたので、合計10区の貸出券を作ったことになる。
*2:【4月15日追記】松尾氏の訃報を2月21日付(369)に追記した序でに読み直し「様相」と誤変換していた箇所を「洋装」と訂正した。