瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『青青の時代』(2)

 今日は花粉は飛散していなかっただろうけれども、鼻腔の瘡蓋が酷くて、口呼吸するためにマスクをしていた。私は(高校山岳部だったからではないが)ゆっくり歩くことが出来ないので、この時期、晴れた日はマスクの中が暑くなって呼吸が苦しくて窒息しそうになるし、寒い日は2011年4月12日付「花粉サイクリング」に書いたように、眼鏡が曇るので前が良く見えない。夕方、図書館に本を返しに駅から往復2.5㎞歩いて、横殴りの雨にも降られてマフラーも濡れるくらいだった。体調が余程悪くない限り、歩いて5分もすれば身体が温まる。だから気象予報で気温が10℃以上になる日はコートを着ない。20℃以上になる日は上着を着ない。朝の気温が低くても平気である。いや、汗を掻いて邪魔になって、却って身体を冷やすのである。もちろん今日はコートを着て行ったが、歩くうちに暑くなって釦を外したので少々身体を冷やし、そして頭は今でも酸欠気味で朦朧としている。そこで、3月中に投稿するつもりだったが後回しにしていた、2018年1月11日付(1)の続きを上げることにした。

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 漸く文庫版(潮漫画文庫)全3巻を揃えることが出来ました。2月に某区立図書館に新品同様の文庫版第1巻と第2巻の2冊があるのを見かけて借りて置きました。検索して見るに何故か第3巻は所蔵しておりません。この区立図書館に単行本(希望コミックス)全4巻も所蔵されているのですが、流石に重いのでこれは別の図書館から借りて来て、そして先月、2018年1月11日付(1)に述べたように文庫版の第2巻と第3巻のみを所蔵している別の図書館に出掛けて、山岸凉子スペシャルセレクション版(全2巻)を除く7冊を手許に揃えることが出来た次第です。
 それでは、2015年3月2日付「山岸凉子『ツタンカーメン』(3)」と同じ要領で、単行本(希望コミックス)と文庫版(潮漫画文庫)を、単行本を基準にして対照して見ましょう。
 本文は全て単色印刷で色刷は再現されていません。原稿(及び初出)では色刷だったと思われる箇所には(※色刷)と注記しましたが、カラーなのか2色刷なのかは初出未見なので注記出来ておりません。
 1頁1頁じっくり付き合わせたわけではないのでまだ異同があるかもしれませんが、目安として示して置きましょう。「=」は同じ、「←」は加工が施されていることを示します。
・単行本第1巻
 ・カバー表紙イラスト(カラー)=文庫版第3巻カバー裏表紙カット(カラー)
 ・1頁(希望コミックスの扉)・文庫版第1巻1頁(潮漫画文庫の扉)
 ・2頁上カット=119頁1コマめ
 ・3頁扉=文庫版第1巻5頁中扉
  カバー表紙カラーイラストを左右反転させて単色で描き直したもの。
 ・4頁「目次」・文庫版第1巻4頁「目次」
  やや上部に標題が5頁からの続きで「‥青の時代」と横組みで大きく立体的に入る。
 ・5頁→単行本第4巻カバー表紙=文庫版第3巻カバー表紙
  単行本=文庫版カバー表紙はこのイラストの黒の背景と銅鏡を省き、人物のみをカラーで描き直したもの。
  銅鏡に1字めの「青あお」と、2字めの「青」の左端が被さる。
 ・6~69頁=文庫版第1巻6~69頁
 ・70頁(※色刷)=文庫版第1巻70頁(※色刷)
 ・71~198頁=文庫版第1巻71~198頁
 ・カバー裏表紙カット(カラー)=第2巻カバー裏表紙カット=第3巻カバー裏表紙カット=文庫版第1巻カバー裏表紙カット(カラー)
・単行本第2巻
 ・カバー表紙イラスト(カラー)=文庫版第1巻カバー表紙イラスト(カラー)
  文庫版の方の背景が恐らく原画のもの。
 ・1頁(希望コミックスの扉)
 ・2頁上カット=142頁5コマめ
 ・3頁扉(※色刷)=カバー表紙イラスト
 ・4頁「目次」・文庫版第2巻4頁「目次」
 ・5頁イラスト=文庫版第2巻3頁扉イラスト
  水中であるかのように髪が逆立った女性の肩から上。標題の位置など第1巻に同じ。
 ・文庫版第1巻199頁
  全1コマ。岩のある海辺から海を見晴らす。
 ・6~35頁=文庫版第1巻200~229頁
 ・36頁=文庫版第1巻230頁=文庫版第2巻6頁
 文庫版第1巻にはこれに続いて231〜237頁(頁付なし)に中条省平(フランス文学者)解 説/さまざまな対立の中で生まれた、「魂」再生の物語」がある。
 ・文庫版第2巻1頁(潮漫画文庫の扉)
 ・37~196頁=文庫版第2巻7~166頁
 単行本は奥付の裏の見開き「◆希望コミックス」の「山岸凉子・作品集」の広告。これについては第4巻の目録とともに後述する。
 ・文庫版第2巻167頁
  望楼のイラスト
・単行本第3巻
 ・カバー表紙イラスト(カラー)=文庫版第2巻カバー表紙イラスト(カラー)
  文庫版の方の背景が恐らく原画のもの。
 ・1頁(希望コミックスの扉)
 ・2頁上カット=98頁1コマめ
 ・3頁扉=文庫版第2巻5頁中扉
  ヒロイン(左下)と蝶(右上)
 ・4頁「目次」
 ・5頁イラスト=文庫版第3巻3頁扉
  簾から姿を見せる日女子。
 ・6~68頁=文庫版第2巻168~230頁
 文庫版第2巻にはこれに続いて231〜237頁(頁付なし)に童門冬二(作家)解 説/新しいヒミコ像」がある。
 ・文庫版第2巻カバー裏表紙カット(カラー)
 ・69頁全面イラスト=文庫版第1巻3頁扉
 ・文庫版第3巻5頁中扉
 ・70~193頁=文庫版第3巻6~129頁
 ・194頁
・単行本第4巻
 ・カバー表紙イラスト(カラー)=文庫版第3巻カバー表紙イラスト(カラー)
 ・1頁(希望コミックスの扉)
 ・2頁上カット
  短剣を捧げ持つ女性。本文には出なかったか。
 ・3頁
  日女子の全身像。
 ・4頁「目次」
 ・5頁イラスト=文庫版第3巻3頁扉
 ・6~102頁=130~226
 単行本は104頁(頁付なし)「牧神の午後」の扉。106頁イラスト(※色刷)=カバー裏表紙のイラスト(カラー)。107~204頁本編。奥付の裏の見開き「◆希望コミックス」の「山岸凉子・作品集」の広告。これについては第2巻の目録とともに後述する。
 文庫版は「牧神の午後」を収録せず、本篇に続いて227〜231頁(頁付なし)に「山岸凉子インタビュー/『青青の時代』に描かれた巫女たちに迫る*1」があって末尾(231頁4行め)に下寄せで「(取材・文/岩崎眞美子「ダ・ヴィンチ」2000年4月号掲載)」とある。そして最後、232~236頁(頁付なし)に梅原猛(哲学者)解 説/面目躍如の作品」がある。(以下続稿)

*1:ルビ「あお」。

赤いマント(174)

4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」に改めましたので、この記事の番号を(175)から(174)に改めました。記事本文には手を入れておりません。

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 つくづく人と話すのは難しいと思いました。
 互いに前提とするところが異なりますから。私がブログをやっていることを知友に知らせていない理由の1つに、――相手が読んでいることを前提に、うっかり話してしまうかも知れない、それなら読んでいないことにして置いた方が良い、と云うことを挙げましたが、同じ文章を読んだり同じ話を聞いても人によって前提が異なりますから、当然、理解も、ポイントも違って来ます。
 かつて『風の書評』で知られる百目鬼恭三郎(1926.2.8~1991.3.31)が、大部な説話集や随筆からの抄録、それから外国語文学の随筆や短篇集の抄訳を批判したことがありました。編・訳者の選択が、その人の興味や評価に寄ってしまうので、こちらが読みたいと思っているところと一致しないことが多い、と云うのです。その伝で、私は要約は余り信用していません。こちらが押さえて置いて欲しいところを、採っていないことも多いし、解釈したときに誤解が混ざる可能性も高いからです。例としては、2013年5月1日付「御所トンネル(4)」辺りで検討した『現代民話考』の要約・分類を挙げて置けば良いでしょうか*1
 それで、当ブログでは本文はそのまま引用し、いつ、どのような本や雑誌に出たのか、そして著者の経歴や話者についても出来る限りメモして置くことにしました。論文にはここまで書けませんが、私は論文には書かなくてもそこまで確認すべきだと思っていて、だから『現代民話考』をそのまま使うのは非常に危険で、アンケート葉書の回答を載せたものは仕方がありませんが、本や雑誌から引いたものはそちらに就くべきだと思うのです。そして、ブログと云う場でなら、その作業まで公開出来ると思った訳です。
 尤も、そんなことを一々していたら量ばかりが増え、かつ、手っ取り早く何かを知りたい人には殆ど不要な情報ですから、Google 等で上位にヒットしないのも当然でしょう。
 それはともかく、誤読を避けようと思って必要な個所を全て抜こうとすると嵩張るばかりで、しかし要点を摘もうとすると人によって力点が異なってきます。私が逸すべらからざる、と思うところが別の人にとってはどうでも良く、その人が注意している事項を私は落とすかも知れない。ですから、嵩張ってもやはり全て抜いて置こうと思うのです。
 ブログは今後もこの方針で進めるとして、もうそろそろ私自身のためにも別の形の纏めが必要になるでしょう。一般読者も視野に入れた書籍化を今年中の目標としたいと思います。(以下続稿)

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 今回の件、私としてもいろいろ反省点があります。その辺りの自戒も込めて、ここ数日の記事は冒頭に注記を加えた上で、そのままにして置きます。
 当方としましては昨日述べたようなことがクリアになるなら、当ブログの内容を活用してもらうことに何の異存もありません。
 ですから、それ以上のこと、事前に内容まで確認するようなことは、するに及ばないと思っております。
 資料の使い方や読み方について意見が出来てしまうかも知れません。これ以上、やり合うようなことはしない方が良いでしょう。
 論集が出た暁に、ご一報いただけたらと思います。

*1:『現代民話考』の問題点は別に検討しないと行けないと思っています。――他に問題ある例としては、2015年9月28日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(3)」に引いた山下武の要約、2015年9月30日付「山本禾太郎『抱茗荷の説』(5)」に引いた細川涼一の要約を挙げて置きます。