瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

いまに語りつぐ『日本民話集』伝説・現代民話(11)

 4連休だが在宅の仕事もあるし、もともと出掛ける予定もない。
 緊急事態宣言下、自宅に籠もっていたときに、息切れが酷くて運動も儘ならなかったことを思い出した。あの頃は、実は既に蔓延していると云う説もあって、ひょっとして感染しているかも知れないが、4日連続どころか1日も37.5℃以上発熱していないから、検査はしてもらえない。今だって検査してもらえないだろうけれども。――だとすると発症していないだけかも知れないから、少しでも無理を避けようとて、いよいよ運動しなかった。実は、当時は蔓延なんかしていなかったのだけれども、症状は今も改善しない。と云うことはやはり鼻中隔湾曲症に、花粉症の影響やら加齢やらでこの春はとりわけ息が詰まり気味だったのだ。片方の鼻腔はほぼ通らないが、僅かに通っているので、詰まっているような苦しさはない。けれども、片方の鼻腔も何か引っ掛かるような通り方で、結局、常に酸欠状態みたいなものである。この状態は今も変わらない。やはり、早めに処置すべきであろうか。
 目録類を纏めていると閲覧数が減るのは何故なのだろう。アクセス解析による朝8時までの閲覧数が1件(!)だった。別に閲覧数が伸びそうな記事を上げようと云う訳ではないが、素朴に、どうしてここまで落ち込むのか、その仕組み(?)を知りたい。
・「現代民話」の出典④~「民話と文学の会会報」
 前回取り上げた「不思議な世界を考える会会報」の「ヤングの知っているこわい話」に参加している大島広志は、「不思議な世界を考える会会報」よりも前、昭和末年に、2016年2月1日付「大島廣志『民話――伝承の現実』(1)」等にて確認したように、自分の主宰する民話と文学の会の会報に「若者たちのこわい話」を連載していた。
 「民話と文学の会会報」と云うのも「不思議な世界を考える会会報」と同じく、閲覧可能な施設が存在しないので、部外者にとってはよく分からない会であり、会報である。今も存続しているのかどうかも、よく分からない。
 とにかく大島氏は自前の「若者たちのこわい話」を止めて、平成初年に「不思議な世界を考える会会報」で始まった「ヤングの知っているこわい話」に参加しているのだが、そのことに妙な感慨を覚えるのである。――「ヤング」は、今は死語みたいなものだろう。いや、私だって当時丁度「ヤング」に当たる年齢だったと思うのだが、「ヤング」と呼ばれた記憶もなければ自分が「ヤング」だと意識したこともない。「ヤング」だったのは私らよりも、上の世代ではなかろうか。どうも、anachronism に思えてしまう。大人しく「若者たち」を引き継げば良かったのではないか、と。
 さて、以下に「民話と文学の会会報」から採られた話を、昨日と同じ要領で挙げて行こう。なお⑩⑪は「民話と文学の会かいほう」、⑩は「若者たちのこわい話」ではなく「こ・わ・い話」となっている。現物を見ることが出来ないので何故このような不統一になるのか良く分からないが、しかし同一シリーズに引用する際には、巧く調整して統一してもらいたかったと思うのである。
「民話と文学の会会報」47 一九八六
・大島広志「若者たちのこわい話」1
⑩百二*1・⑪十一・⑪七十・⑬一・
「民話と文学の会会報」48 一九八七
・大島広志「若者たちのこわい話」2
⑩百一・⑬四十八・⑬六十九
「民話と文学の会会報」49 一九八七
・大島広志「若者たちのこわい話」3
⑬六十三
「民話と文学の会会報」50 一九八七
・大島広志「若者たちのこわい話」4
⑬六十七・⑬七十三
 ついでに民話と文学の会の機関誌「民話と文学」についても見て置こう。
「民話と文学」27 特集「東京・檜原村藤原ツヂ子の世間話」高津美保子 民話と文学の会 一九九五*2
⑮十・⑮十五・⑮四十三・⑮七十一・⑮九十二
 すなわち、⑮の編集担当の高津氏が記録した藤原ツヂ子の話を特集した号で、その後、次の本に纏められているようだ。

藤原ツヂ子の語り (新しい日本の語り)

藤原ツヂ子の語り (新しい日本の語り)

  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: 単行本
 この本については別に取り上げる予定なので、本シリーズとの関わりについてもそのとき述べることとする。(以下続稿)

*1:なお、⑩百三も「同右」すなわち⑩百二と出典を同じくするとあるが、「報告」者が木立英世(1920生)となっており『現代民話考』ではないかと思われる。確認次第、7月20日付(08)に追加するなりして置く。

*2:2つめからは、2行めになっている高津氏の名前以下を「(同前)」と省略している。