瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(28)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(08)「一」5節め
 続けて28頁11行め~30頁12行め、5節め「「箕吉」か「巳之吉」か」にて、遠田氏は青木純二が依拠した本文を特定してしまう。この辺りは勿体ぶっていないので読んでいて甚だ気持ちが良い。
 28頁12行め~29頁1行め、

 これも、青木の話が、口碑ではなく、翻案だと気づきさえすれば、難しい問題ではなく、主人公/の「ミノキチ」が箕吉と翻字されていることから、おおよその見当がつくのである。中田賢次の調/査によれば、ハーンの数ある翻訳で、「箕吉」という表記を使っているのは、ひとつしかない(10)。そ/れは、すみや書店から一九一〇年に刊行された高濱長江(謙三)訳『怪談』で、これは日本で最初/【28】の『怪談』の完訳本である。高濱訳と青木の話の一節を比較してみよう。まずは高濱訳。


 注(10)は以下の通り。240頁8行め、

(10)中田賢次『小泉八雲論考――『怪談』を中心として』私家版、二〇〇三年、六一頁。


 この中田氏の本は国立国会図書館にも所蔵されていないので、閲覧に困る。恐らく7月21日付(02)に挙げた、「茨城工業高等専門学校研究彙報」に連載していた「Lafcadio Hearn論考」などを纏めたものだと思うが、だとすれば、公立図書館での閲覧も可能な初出の方も示して置いて欲しかったと思う。
 いや、高濱長江(1876.6.21~1912.1.29)が訳した『怪談』も国立国会図書館に所蔵されていない。従って、国立国会図書館に所蔵される高濱氏の著書5点は全て国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来るのに、この『怪談』は東京近辺だと大学図書館に閲覧を申し込むしかないらしい。
 よって、遠田氏の引く原文は全て抜いて置こうと思う。29頁2~8行め、

 或夜、子供が寝静まつてから、お雪は行燈の灯で裁縫をしてゐる、と箕吉は、お雪を見なが/ら
『お前が恁*1うして裁縫をしてゐる顔を、灯影で見てゐると、私が十八の時に出会*2した妙な事を/思ひ出させる。彼の時、私の出逢つた人は、今のお前のやうに真白で美しかつた――全くお前/のやうに太層美しかつた………』と云ふと
 お雪は、自分の仕事からは眼を離さないで
『お咄*3なさいよ、其の女の事を………何処でお逢ひなさつて?』(一〇六頁)


 この「灯影」の影は、影(shadow)ではなく光(light)の意味である。この意味が忘れられて、或いは「灯台下暗し」の「暗」い影から見ていると勘違いする人もいるかも知れぬので注意して置く。
 続いて青木氏の当該箇所を抜いて、30頁3~4行め、

 青木の文には、高濱を引き写した跡が随所にうかがえるが、なかでも決定的なのは、ハーンの原文/で “To see you sewing there, with the light on your face” に当たる箇所で、‥‥

と、高濱氏がここを、他の訳には見えない5~6行め「個性的な訳をし/ている」ことを指摘する。そして6~7行め「青木はそれをほとんどそのまま「お前が、かうして裁縫をしてゐる顔を灯影で見てゐる/と」と引き写しているのである。」とした上で、他の訳を幾つか挙げる。9~12行め、

 たとえば高濱訳の翌年に刊行された『英文妖怪奇談集』では、「お前が、燈りへ向いて針仕事を/して居るのを見ると」となっているし(11)、もっとも流布した第一書房版の全集(田部隆次訳)でも、/「お前がさうして顔にあかりを受けて」と平板に訳されている(12)。この一箇所を見ただけでも、青木/が高濱訳を参照していたことは明らかだろう。


 注には、240頁9~10行め、

(11)ラフカディオ・ヘルン著、本田孝一訳註『英文妖怪奇談集』秀文館、一九一一年、二三頁。
(12)『小泉八雲全集』第七卷(学生版)第一書房、一九三一年、二五八頁。


 『英文妖怪奇談集』(明治四十四年二月廿五日印刷・明治四十四年三月 一 日發行・定價金貳拾八錢・秀文館・前付+116頁)は国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧出来る。但し「英文妖怪奇談集」は国立国会図書館蔵本には失われている表紙のみにある標題で、扉や奥付は全て「妖怪奇談集」である。オークションサイトの画像に拠ると赤地の表紙には横組みで、上部に「ラフカデイナ、ヘルン (小泉八雲) 原著/本 多 孝 一 先 生 譯 註」やや大きく白字で標題、中央には大きく黒い丸の中に草地に立つ雄鶏を描き、その下に白抜きで「Selection/From/Kwaidan」最下部に空押しで「秀文館發行」とある。遠田氏は「本田孝一」としているが本書では全て「本多孝一」である。扉(頁付なし、裏は白紙)以下は国立国会図書館デジタルコレクションに存するが「ラフカディオ・ヘルン氏/原 著」となっている。「緒  言」(ⅱ頁)、「目   次」(頁付なし、裏は白紙)、「ラフカディオ・ヘルン小傳」(ⅳ頁)までが前付け。8篇収録されているがその最初、1~27頁が「YUKI-ONNA/雪  女」である。
 遠田氏は高濱訳「雪女」をもう1箇所、前回触れた注(9)の中で引用している。これも抜いて置こう。239頁4~10行め、

 面白いことに、このくだりは、一九一〇年に刊行された高濱長江(謙三)訳『怪談』(すみや書店)でも/同じようにおかしな訳になっている。
  「私は外の方のやうに貴郎*4を待遇*5はうと思ひました。けども貴郎が剰*6り若いから――貴郎に懸想しや/  うとは思はない…………箕作*7さん、貴郎は綺麗な子供*8ね。私は今、貴郎をドウもしやしません。」(一/  〇一頁)
 ”cannot help feeling some pity” という表現は、明治・大正の人にとっては、やや難しい慣用句だったの/かもしれない。‥‥


 青木氏の「雪女」の当該箇所は27頁6~7行めに引いてある。

『私は、ほかの方のやうに、あなたをあつかはうとは思ひません。あなたはほんたうに美し/い方だから、私はあなたを、どうもしますまい。‥‥


 本多孝一訳註『英文妖怪奇談集』では次のように訳されている。10頁22~25行め、

‥‥「私はお前をもあの人と同じ樣に/仕樣と思つたんだが、お前には何だか可哀相な氣がして/ならぬ、お前が大層若いからなんだ、巳之吉お前は美い/子だ、今お前をあやめる事はやめませう、‥‥


 それはともかく、遠田氏は以下の節でも、この「灯影」を、青木氏の影響の判定に使用しているのである。(以下続稿)

*1:ルビ「か」。

*2:ルビ「でつくわ」。

*3:ルビ「はなし」。

*4:ルビ「あ な た」。

*5:ルビ「あ し ら」。

*6:ルビ「あま」。

*7:ルビ「 マ マ 」。

*8:ルビ「 お こ 」。