瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(098)

 昨日の続き。
・三浦秀夫『妖怪変化譚』(3)
 さて、本書の「雪おんなの子別れ」は、非常に扱いづらい。
 まづ「昭和三年刊の宮坂幸造他編『信越の土俗』」と云うのが分からない。
 昭和3年(1928)と云えば、昭和5年(1930)7月刊『山の傳説 日本アルプス』の2年ほど前である。
 すなわち、青木純二『山の傳説』に先行する白馬岳の雪女の文献と云うことになる。
 是非とも閲覧したいところだが、宮坂幸造が何者だか分からない。それから『信越の土俗』と云う本が分からない。国立国会図書館サーチで検索してもヒットしない。長野県立図書館や新潟県立図書館の横断検索や雑誌記事データベースなどで検索してもヒットしない。
 それこそ、三浦氏に直接問合せる他はなさそうだ。しかし、三浦氏には本書しか著書がない。三浦秀夫で検索すると同名異人と一緒になって雑誌記事がヒットするが「歴史関係の著作」は秋田書店の雑誌「歴史と旅」に、昭和53年(1978)と昭和61年(1986)に幾つか寄稿したのがヒットするくらいである。ちなみに本書の元になった連載が国立国会図書館サーチ等でヒットしないところからして、この他の、データが採録されていない雑誌に「多」々書いていた可能性が考えられるけれども、どうも分からない。とにかく本書の「あとがき」以降の消息が分からない。しかしそれからもう18年余が過ぎている*1。仮に三浦氏が健在だとしても蔵書がそのままかどうか、健在でなくて蔵書がそのままだとして、すぐに取り出せるかどうか。いや、出版物であれば同じ物が何処かにあるはずなのだが、どうにも、よく分からない。
 前回挙げた、【A】Lafcadio Hearn 「雪女」と、白馬岳の雪女の原典(!)だと思われている【B】青木純二『山の傳説』「雪女(白馬岳)」との異同についてだが、まづ話の舞台が白馬岳である(らしい)ことが【B】に同じである。しかしながら①主人公親子が木樵であるのに対し【B】は猟師の親子と云うことになっている。【A】の Mosaku と Minokichi は親子ではないが木樵である。②雪女との間に生まれた子供の数については、遠田勝が2021年11月1日付(075)に引いた箇所などで注意しているように、Hearn の「雪女」が土着したと見られる日本各地の例では5人以下になっている。その嚆矢と目されている白馬岳の雪女の文献では【B】を始めとして、と云うか、【B】を踏襲して子供の数は5人と云うことに、大体はなっている(この点については遠からず一覧表に整理して見るつもりである)。ところが『信越の土俗』は10人で【A】と一致するのである。③主人公の母親は【A】にも【B】にも登場するが、白馬岳の雪女の長野県側の文献には登場しなくなっているのだが、【B】に先行する『信越の土俗』が既に脱落させていたことになる。④「喋れば必ず命をもらう」と釘を刺しながら、【A】と【B】では子供がいることを理由に、その養育を頼んで命を取らずに消え去ってしまうのだが、これも白馬岳の雪女の長野県側の文献にはそういう理由なしに命を取らずに消えてしまう例が幾つかある。「脱落」としか思えないのだが、やはり『信越の土俗』が既に脱落させた形で白馬岳の雪女を掲載していたらしいのである。
 こうして見ると、【B】に近いのは白馬岳を舞台とすることくらいで、①②は【A】に近く、③④の恐らく「脱落」は【B】からの書承で白馬岳の雪女を収録した長野県側の文献に近いことになる。③④からすると新しいようであり、しかし①②は【B】よりも古いことを跡付けているようでもある。――いよいよ『信越の土俗』の原本が見たいところだけれども、どうすれば見ることが出来るのか、見当も付かない。
 しかし差当り、一応の見当は示して置こうと思う。次回、2つの可能性――「白馬岳の雪女」を捏造したのは青木純二か否か、と云う点について考えられ得る可能性を述べて、今後の『信越の土俗』発掘までの作業仮説として置きたい。(以下続稿)

*1:執筆からだともう43年である。