瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(49)

・高島昌俊 著/岡戸雅樹 撮『廃墟巡霊』2008年10月22日 初版第一刷発行・定価1,700円・ミリオン出版・195頁・A5判並製本

 148頁まではカラー印刷、149頁以降、奥付までは単色で紙質も劣り、私の見た本では手擦れでかなり黄ばんでいる。
 見返し(遊紙)は真っ黒、1頁(頁付なし)扉、2~4頁(頁付なし)目次、5頁(頁付なし)「Ⅰ 北海道・東北編」の扉、以下6~38頁で「1」から「12」は1箇所に1~4頁、2頁以上取っている場所は、最初の2頁は見開きで現地の様子を大きく示している(ことが多い)。最後の36~38頁の3頁は1頁に上下2箇所ずつ「13」~「18」の6箇所。なお149頁は黒地に上部中央に白抜きで「各所解説編」とあって、以下見開き2頁に3箇所ずつ、2段組の文章の下にモノクロ写真を小さく添える。但しカラー頁各章末に1頁2箇所ずつで取り上げられている場所はこの解説に取り上げられていない。配列は何となく北から南へ、1箇所半頁の場所では、改めて北海道から始めている。
 39頁(頁付なし)「Ⅱ 関東・甲信越・東海編」の扉、「19」~「43」まで25箇所は解説あり、「44」~「47」の4箇所は半頁、解説なし、全て関東。
 85頁(頁付なし)「Ⅲ 近畿・四国・中国編」の扉、「48」~「64」まで17箇所解説あり、「65」~「72」の8箇所は解説なし。
 123頁(頁付なし)「Ⅳ 九州・沖縄編」の扉、「73」~「84」の12箇所解説あり、「85」~「88」の4箇所解説なし。
 すなわち、解説あり66箇所、解説なし22箇所となっている。
 194~195頁、高島昌俊 岡戸雅樹「後書き」は「2008年9月30日」付、195頁1行めに「今回の出版に際し、実話ナックルズ編集長の‥‥」云々の謝辞があり、版元(発行元)からしても「実話ナックルズ」の連載だったらしい。
 84頁上、まづ赤く塗った卒塔婆風にした見出し「46 東京都八王子市×道了堂」漢字は白抜き明朝体。その脇に明朝体太字白抜きでやや大きく「怒れる地蔵の祟り」とある。写っているのは前に左右そして後ろと3本丸木を立てて黄色と黒を縒り合せたロープを上と真ん中辺りの2本ずつ張った中に立像の石地蔵。前に花が飾られた花立がある。左側、ちょっと離れてピントの合ってない、小さな手水鉢。花立の左、手水鉢の下に明朝体白抜きで以下の紹介文、

 東京でも数多くのミステ/リースポットが集まる八王/子。この道了堂は過去に何/度もテレビで紹介された場/所で、昭和38年と同48年の/2度にわたり殺人事件が起/きているのだ。現在、名前/の由来となったお堂はな/く、公園になっているが地/蔵などはそのまま残されて/いる。この地蔵、心ない若/者によって何度か壊された/のだが、なんと「むやみに/触ると祟りがある」との噂/も。事件は本当だけに恐れ/る者は多い。


 その下の黒地の仕切枠にゴシック体横組みでごく小さく「哀しくも修築した部分が不気味さを際立たせている」とあるのは、地蔵の頭部、赤い涎掛けの上が白いコンクリート製になっているからである。――この説明を読むと、道了堂跡にはもう1体、座像の石地蔵もあるのだかこの立像の方が、稲川淳二の所謂「首なし地蔵」だと思われそうだ*1。まぁ現時点では混同されていて、そもそもがどっちがどっちでも構わないようなものなんだけれども。
 それ以上に看過し難いのは、昭和38年(1963)の堂守老婆殺しだけではなく、昭和48年(1973)の立教大学助教授教え子殺しが道了堂で起きたように書かれていることだが、これは道了堂とは無関係である。――道了堂について述べるのであれば最低限、辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』には目を通して欲しいと思うのだけれども、‥‥絶対復刊されないと思われるので、要点は当ブログに取り上げて検討するつもりである。(以下続稿)

*1:稲川氏の説明通りの首無し地蔵の写真が存在することについては、3月25日付(19)に触れた。