瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(30)

 投稿当初、「道了堂(50)」と題していたのだが、そうでない話題で長くなった。「学校の怪談」と卒業生、と題しても良いかと思ったのだけれども、例にはしているけれどももっと大きい問題を扱っているつもりである。そこで却って限定して、仮に、例の代表として取り上げた、女子美術大学に関連する題に改めることとした。

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 昨日取り上げた『廃墟順霊』に道了堂や坪野鉱泉が載っていることは以前から注意していたのだが、同じ書棚にあった3年前出た本にも道了堂が載っていたのでついでに借りて来た。

事故物件住みます芸人 松原タニシ異界探訪記 恐い旅』2019年 8月20日 初版発行・定価1450円・二見書房・398頁・四六判並製本
 この本の内容については次回触れることにして、今回は著者が芸人であることで思い出した、と云うか、思ったことをつらつら述べてみたい。
 ――女子美術大学の事件を取り上げてしばらく経ってから、急に当ブログの閲覧数が伸びたことがあった。その原因が、怪談演者に転身した芸人の YouTube チャンネルに、女子美術大学の和田寮で暮らしたことがあると云う中年女性が、その芸人の電話取材に自分の体験や在学当時聞いた噂話を語ったのが、忽ちにして万単位の再生数になったのだけれども、これを聞いて「和田寮」などで検索したら、当時は当ブログが上位に出たので*1、毎日数百件の閲覧者が押し寄せる(?)事態となったのである。現在の過疎っぷりの10倍以上の賑わいであった。
 で、私も一応、どんな話をしているのだかと思って聞いてみようと思ったのだが、コメント欄を通覧したところ、和田寮は元病院だったとか地下の風呂がどうだとか、そんな根も葉もない話をまともに議論しているので、それだけで視聴する気が失せてしまった。聞くからには事実に反する箇所を私の性分として突っ込まざるを得なくなるが、好い加減な話には興じても真面目な突っ込みは嫌うような連中に、縷々水を差すようなことを述べても草臥れるだけだろうと思ったのである。――しかし、それにしてもどうして、人は、そこに在籍していたと云うだけでその人の話を全面的に信じてしまうのだろう。学校であれば小学生でも6年、中学高校は3年、大学は4年、留年やら院生になったり、附属の内部進学等で10年以上同じ場所に通うような人もいることにはいるが、大抵は、せいぜいが3~6年といったところである。その、自分が通っていた期間のことだって、別の学年のこと、同学年でも別のクラスのこと、或いは知合いのいない部活のことなぞ、大してよく分からないだろうに。現地を見ているにしたところで、先輩に聞かされた昔の話など、大概が「学校の怪談」レベルの、根も葉もない与太話だろう。
 最近ルポルタージュ怪談作家と云う肩書きになっているらしい川奈まり子も「母校の怪談」では、自分の曖昧な記憶にネット情報を絡めて、明らかに事実に反することを書いていた*2。――かつて日本語のルーツに関する妄想気味の与太を述べ立てた本が流行ったことがあって、ある言語学者が「彼等は日本語の話者であること=日本語を知っている、何から何まで分かっている、と思い込んでいて、それで自分には日本語について論じる資格があると素直に信じているらしい」と突っ込んでいたことがあったが、この、かつてそこの生徒だった、学生だった、勤めていた、と云ったことがどの程度、そこのことを知っていることになるのか。せいぜい周囲で語られていた、本当らしい、色々な理由――学校になる前に校地に何があったか、だとか、ある部活の廃部理由とか――、そんなものを仕入れて、確証がある訳でもないのに何となく信じているだけではないのか。
 実際のところ、新聞の縮刷版など同時代の資料、当事者の書いた記録・回想の類、そういったものを活用した社史・校史、或いは最近活用出来るようになって来た戦前からの航空写真、古地図などで裏付けの取れないものは「伝承」扱いするのが妥当なのであり、仮に当人が信用している人から聞いて信じているとしても、裏付けがなければ、その信用している人が間違いを信じて語っている可能性が大なのである。しかし、裏付け*3がないことで却って、それは学校にとって表沙汰になっては不味い真実が隠蔽されたからだ、と云う陰謀論と同じような理屈になって説得力を感じて愈々声高に語ってしまうような人が間々存在するものだから、どうにも厄介なのだけれども。
 とにかく、せいぜい数年その学校・建物で過ごしたことがあるからと云って、何でも知っている訳ではないのである。むしろ卒業生など所謂「関係者」の方が、知っているつもりになってきちんと調べずに間違った思い込みを書いたり語ったりしている。その好例が「学校の怪談」である。実際に語られているような事件や事故があったとしても、現在の伝承が正確に当時の状況を伝えている可能性は、高くないだろう。合理化が行われ、後からくっ付いた尾鰭が初めからいたような顔をして踏ん反り返っている。それを信じて語っているような連中をそのまま受け売りで信じてしまうのは、甚だ危うい。関係者と云うだけで何となく信用があるだけに、余計に厄介である。しかし私はむしろ、私は卒業生だから間違いないと云う顔付きをしているような人にこそ、そんなドヤ顔はせぬ方が宜しいと御忠告申し上げたいのである。――偉そうなこと言うじゃないかと思われるかも知れぬが、私は中学生のときに自分の母校の怪談を考証するために過去10年分の生徒会誌を蒐集して、誰も考証しようとしない怪談のアラを見付け出したくらいだから間違いない。そこまでしても「分からない」ことを、当時の私がどれだけ切実に知りたがったことか。いや、当時やっていた作業の延長線上に、当ブログはあるのである。私は自分の記憶も信じていない。いや、昔自分が書いた文章を読んで恥ずかしくならないような冷静な人物であれば、信用に値するかも知れぬ。しかし、若気の至りのような気分にさせられるようならば、それはもう当時の気分、記憶を、自分に都合良く、美しく(?)書き換えている証左なのである。
 話が大分脇道に逸れてしまったが、女子美術大学の怪談芸人の動画の件に話を戻すと、――YouTube からのアクセスがたまにあって、何事かと思ったら、当該動画のコメント欄で当ブログを紹介してくれた親切な(?)人がいて、どうやらそこから当ブログに来た人が、たまにいたのである。しかし最近はとんと来ない。そのコメントは、その他大勢の、事実に基づかない与太を書き込んだコメントの中に埋もれてしまったもののようである。
 それはともかく、これが、私が怪談芸人なるものの存在を知った最初であった*4。私はこんな与太話を身過ぎにするのは如何なものかと思っているので、どうも感心しないしあまり関心もないのだが、しかし、大勢いるらしい。――怪談などと云うものはそもそも大したものではなく、大した扱いをすべきものじゃあないと思っている私には、どうもよく分からない。分かるのは、私は怪談を収益化出来ないと云うことくらいである。(以下続稿)

*1:追記】投稿後「和田寮」で検索したら、やはり当ブログが上位に出た。してみると、こんなことに関心を持つ人たちに和田寮の話題は周知されて、改めてネット検索して情報に接しようと云う動きが落ち着いている、と云うことになろうか。

*2:5月24日追記】この点の見当と川奈氏への要望は2018年10月26日付(07)に述べた。

*3:もちろん、当ブログで縷々述べて来た通り、文献がそのまま信用出来る訳ではない。同時代の資料であっても全てを見渡して書いている訳ではない。当人の回想であっても記憶の改竄があると見るべきである。更に先行文献をそれと断らずに(黙って)利用していて実は資料的価値のない文献も少なくない。だから当ブログでは書かれたものの検討も徹底的に行うことにしている。

*4:いや、稲川淳二もそういうことなのだろうけれども、あれは稲川淳二だから成り立っているのだろうと思っていた。