瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(50)

 それでは、昨日、著者が芸人であるところから話が脇に逸れてしまった次の本の内容について、述べて行こう。
松原タニシ異界探訪記 恐い旅』(1)
 布目模様を摺出した紺色のカバーには、本書に登場する場所を点で示している。北海道2箇所、東北は宮城県のみ3箇所、北陸は福井県のみ2箇所、殆どは関東圏、中京圏、近畿圏、四国は香川県高知県が多く、中国地方は少ない。九州を飛び越して沖縄と台湾に出掛けていることが分かる。
 見返し(遊紙)も紺色、続いてアート紙のカラー口絵(ⅳ頁)、1頁に上下1つずつ合計8つ。
 1頁(頁付なし)扉はカバー表紙に白抜きで入っている標題等の文字がやや拡大されて入っている。
 003~005頁「はじめに」に本書の意図が説明されている。004頁7行め~005頁7行め、

 事故物件に住めるのであれば、どんな恐い場所にも行けるはず。
 事故物件三件目に住んだ頃から、心霊スポットと呼ばれる場所や事件・事故現場、/戦跡、廃トンネル、自殺の名所、呪いの場、処刑場跡、火の玉目撃値など、暇さえあ/れば「異界」へ出かけるようになりました。
 
 ただの心霊スポット巡りでは満足しない僕が決めた「異界巡り」のルールは五つで/す。
【004】
 
  ・できるだけ知られていない場所へ行く
  ・なるべく怪異現象の起きやすい真夜中に行く
  ・長居できる場所へ行く
  ・可能なかぎり一人で行く
  ・怪異現象が起きたときの証拠を残すため、動画の生配信を行い記録する
 
 本書は二〇一六年七月から二〇一八年四月までの、そんな僕の異界巡りをまとめた/ものです。


 そうすると本書に取り上げてある場所については探せば動画が見られることになる。――芸人以外にも心霊スポット動画を上げている人は少なくなくて、それこそ大変な数になるだろう。しかしながら、私の思うような質はとてもでないが望めない。
 6~9頁(頁付なし)「もくじ」、10~11頁(頁付なし)「異界巡りMAP」はカバーにあるものの場所名を抜いたもの。10頁右下の「沖縄」はカバー表紙から続いてカバー表紙折返しにあった。11頁左上の「台湾」はカバーには線が引っ張られているだけで入ってなかった。日本海側は北海道・福井県島根県だけで、九州は皆無、とにかく訪問した地域が偏っていることがよく分かる。
 012~014頁「異界巡りスポットリスト 約2年間で206箇所行きました。」で「2016」年の「7月9日 大塚団地(滋賀)」から「2018」年の「4月4日 七つの家(山口)」まで3段組で日付と場所を列挙。
 15頁(頁付なし)「2016」の扉、黒地に日本地図を示して訪問先を白丸の点で示し、線で繋ぐ。16~086頁に26箇所、短いものは見開き2頁で、見出しの下に都道府県地図で位置を示し。そして文章の後に小さな写真や現地のやや詳しい地図を添える。
 87頁(頁付なし)「2017春」の扉、88~208頁に1月から5月の5ヶ月に訪れた48箇所。
 209頁(頁付なし)「異界ギャラリー 他にもこんな「異界」を巡りました。」の扉、210~218頁まで1頁に4箇所ずつ、写真と見出しにごく小さく横組みで3~4行の説明で36箇所。これは何故か「もくじ」に示されていない。「異界巡りスポットリスト」には載っているが、014頁上段2行め(「2017」年「8月」)「22日 たっちゃん池(東京)」は、215頁(頁付なし)の左下に「たっちゃん池(東京)2017.8.23」とあって日付が違っている。
 219頁(頁付なし)「2017夏」の扉、220~302頁に6月から8月の3ヶ月に訪れた42箇所。
 303頁(頁付なし)「2017秋冬」の扉、304~352頁に9月から12月の4ヶ月に訪れた27箇所。
 353頁(頁付なし)「2018」の扉、354~395頁に4月4日までの21箇所。続篇も出るのだろうからこここそ「2018春」と題すべきだったのではないかと思うのだけれども。
 「異界巡りスポットリスト」には「206箇所行きました。」とあったが全部足しても200箇所にしかないならない。2度訪れているところもあるので実数は更に少ないはずである。そこで「異界巡りスポットリスト」を勘定してみると「2016」年は26箇所、「2017」年は150箇所、「2018」年は29箇所、やはり2度訪れているところがあるが、合計205箇所で、やっぱり合わない。
 道了堂跡にも2度来ている。次回、その記述を確認して置こう。
 ところで、この本には2014年8月21日付「佐藤純弥「新幹線大爆破」(1)」の前置きに触れた、私が「わざわざ心霊スポットらしき場所を訪ねようとした」数少ない実地踏査体験の1つである「高校の帰りにふと思い立って」昭和63年(1988)7月、高2の夏休み前だったと思うが「炎天下を20Km以上歩いて2箇所、見て回った」その2箇所ともが取り上げられていて、何だか懐かしく思ったのだが、私が行ったのは炎天下の真っ昼間である。人が殆どいなかったと云う点では真夜中と変わらなかったかも知れぬが。――いづれ当時の記録を掘り返した折にでも、対照して見ようと思う。(以下続稿)