瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(63)

・かたくら書店新書23『峠と路』(4)
 4月16日付(35)に取り上げた馬場喜信『峠と路』の初刷を見た。本書は既に述べたように道了堂解体年の確定とは無関係だが、今、手許に第三刷と並べているので比較して見たい。
・かたくら書店新書23『峠と路 八王子とその周辺1987年3月18日発行・定価950円・164頁
 カバーはなく表紙は学校文集によく使われる大理石風のエンボスの淡い橙色の厚紙。大きさは初刷(17.4×10.8cm)第三刷(18.2×10.2cm)で、初刷は普通の新書判、第三刷はB40判の新書判である。
 表紙と背表紙は、天(上)からの位置は一致、すなわち地(下)の余白が第三刷は広くなっている。写真は白地に印刷されている第三刷の方が一見見易いようであるが、よく見ると細部がぼやけている。背表紙、中央に標題と副題、その上に写真があるのは初刷も同じ。違うのは副題から12字分ほど離して真下に「定価九五〇円」とあることで、ISBNコードなどはない。見返し(遊紙)は白、やはり本文共紙である。以下164頁までは一致。もちろん写真は初刷が鮮明である。
 初刷は164頁の奥付があり、その裏に一覧表「かたくら書店新書目録」がある。上辺の上右に「1986.12」とあって22点。
 図版の鮮明さを選ぶなら初刷だが、その後の変化をメモした〔第三刷への補記〕が第三刷のポイントである。
 奥付はもちろん組み直されているがともに横組み、上部に著者「馬 場 喜 信(ばば よしのぶ)」の紹介があるのは同じ。第三刷は読みを小さくしていない。初刷は1行分空けて、2字下げ

昭和12年、東京に生まれる
昭和50年、八王子に来住し、現在、出版社に/勤務。

とある。第三刷は名前と読みのすぐ下に詰めて1字下げで、

1937年 東京・目黒区に生まれる
1975年 八王子に移り住む
現 在 多摩地域史研究会会員

とあり生誕地がやや詳しくなっているが以下余白。初刷は1行分空けて〔現住所〕は地番だけでなく電話も、さらに1行分空けて〔著 書〕2点『流域紀行八王子』『八王子案内24章』を挙げる。そして中央やや下に太線、初刷(8.4cm)第三刷(8.1cm)がある。第三刷はやや細い。この太線の上、左に標題「峠 と 路」、初刷は右に「定価950円」とあるが第三刷は定価を入れない。太線の下、発行日、さらに2字分下げて著 者/発行者/発行所/印刷製本をそれぞれ1行弱ずつ空けて示す。第三刷は著 者/発行者/発行所は詰めて、異同は発行所の住所の〒が3桁から7桁に、電 話だけでなくFAXが添えてあること。印刷製本は第三刷も1行弱空けている。初刷は元八王子町の「㈱  い  ず  み  印  刷」FAX番号あり、第三刷は新宿区東五軒町の「モ リ モ ト 印 刷 ㈱」。東五軒町の辺りは3年前までたまに出掛けていたのだがすっかり足が遠退いてしまった。
 さて、4月18日付(37)を書いた時点では、道了堂の解体時期について昭和61年(1986)夏から平成元年(1989)春と云う幅のある見当しか付けていなかったので、本書に、道了堂解体についての記述がないことについて「道了堂の現状についての記述はない」と述べるに止めていたのだが、昭和61年夏から秋の間と判明してみると、ある感慨を覚えざるを得ない。すなわち、――本書が昭和62年(1987)3月刊行だとすると、前年秋頃に道了堂が解体されたことを、逸早く記載出来たはずなのである。
 しかるにそうはならず、馬場氏は『八王子片倉台の地誌』追補版で昭和60年(1985)の時点で道了堂がまだ存することを述べながら、何故か平成3年(1991)の『八王子事典』の「道了堂」項に(この項を書いたのが馬場氏でない可能性があるものの)道了堂の解体を昭和58年(1983)と書いてしまうのである。
 この辺りの事情は、或いは馬場氏の完全な著述目録を作ってみれば見当が付けられるかも知れないが、――素人見当を敢えて示して置くとすると、『八王子片倉台の地誌』『流域紀行八王子』そして『八王子片倉台の地誌』追補版、『峠と路』と八王子市内の川筋(水系)と峠を一通り回り、著作に纏めてしまったことで、それまでとは歩き方や場所が変わって来たものであろうか。道了堂の解体、大塚山公園の整備と云った時期の馬場氏の記録が欠落しているのは誠に残念であり、今に続くその後の混乱の原因になったことを考えると、私のような者にとってはどうにも悔やまれてならないのである。(以下続稿)