瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(106)

・ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(2)石版画②
 昨日の続きで、前回確認した明治26年(1893)の石版画「武藏國南多摩郡由木村鑓水/大塚山道了堂境内之圖」の、道了堂からの眺望について確認しよう。
 この図には[墳 古]の左上に巻物のような枠を設けて、以下のように説明する。最初と最後の1行は、それぞれやや大きい。

勝 地
大塚山ハ道了堂境内ニ属ス直立七/ 十丈亥十一度ニ位ス山上ヨリ四方/ ヲ眺望スレハ一目ノ下ニ十二州を/ 望ムベシ其東南ハ水烟渺茫ノ際ニ/ 翠黛ノ笑眉ヲ呈スル如キモノハ房/ 總ノ諸山ナリ東北ニハ常陸ノ筑波/ 男躰女躰ノ峯巒相對シテ蒼然タリ/ 北方ニハ下野ノ日光孤立シテ皐天/ ニ聳エ亦西北ニハ上野及本州ノ諸/ 峰聯緜起伏シ其裏ニ縷々ト常ニ煙/ 火ヲ吐クモノハ信州ノ浅間嶽ナリ/ 次ニ西南ヲ仰望スレハ富岳千古ノ/ 雪ヲ冠シテ靑天ニ連リ甲相豆ノ諸/ 山児孫ノ如ク其下ニ屏列ス南ハ大/ 洋ヲ臨ム郷里ノ田舎ハ此處彼處ニ/ 散在シ多摩川浅川等ノ水路ハ東北/ ニ盤屈スルヲ見ル鳴呼此觀百里山/ 川ノ勝地ニシテ其絶景他ニ〓*1ルニ/ 足ル可シ聊勝地ヲ記シ以テ衆庶ノ/ 覽ニ供ス
          識 者 記


 そして、道了堂の背後の遠景の山々に、短冊型の枠を2つずつ添えている。1つめは右上に[十二州ノ内]とやや小さく、その左下に[築波山]と添える。以下、左に[日光山]、噴煙を上げる[浅間山]、[高尾山]、雪の積もった[冨士山]、[丹澤山]、[ 大 山 ]と連なる。筑波山の下に[浅 川]があり鉄橋を黒煙を吐く蒸気機関車に牽引された列車が渡っている。その先、日光山の下やや右に[八王子町]の市街地がある。浅川と八王子の位置はそんなにズレていないが、背景の山並は北東から南西まで、随分詰めて収めている。
 しかし、360度全て背景に収める訳には行かぬので、反対側は下部、石段の下から右に小さな別枠を4つ設けて描写している。「島大豆伊内ノ州二十」『倉鎌島ノ江内ノ州二十」「﨑三浦三内ノ州二十」「山鋸州房及濵横内ノ州二十」とある。伊豆大島はやはり噴煙を上げている。鎌倉とあるが江ノ島のみで、三崎は灯台、鋸山は鋸っぽくない。
 以上、『呪われたシルクロード』や『浜街道』その他の図版では鮮明でなかった細部について確認して行ったのであるが、実はまだ不鮮明で判読出来ない箇所がある。それは前回、道了堂の境内を見て行った際に最後に取り上げた手水舎の辺りである。ここは黒くなっていて手水鉢は分かるのだが、どうも明瞭でなかったのである。
 そこはもう判読不明で捨て置くしかないと思っていたところが、本図は最近「リサイクルショップくら屋」からネット上に税込10000円(送料無料)で出品されていて、その商品の説明として非常に鮮明な、各部を大きく写した写真が掲出されていたのである。気が付いていたら入札したところだったけれども仕方がない。それでも、幸いなことに(残念ながら全体を、同じように、拡大して示している訳ではないが)キャッシュで見ることが出来たので、本書では判読出来なかった箇所を幾らか補って置きたい。
 すなわち、手水舎の手前に、石地蔵の、蓮台に乗った立像と、台石の上に乗った座像の2つが並んでいる。座像の方は周囲に四本の柱を立てて屋根を載せている。立像はしばしば首なし地蔵と勘違いされているものであろうか。しかし、参道入口近くにも立像があったから、これが現存する頭部が後補された立像なのかどうかは、実は分からない。座像の方は6月27日付(088)に見た、明治14年(1881)建立の延命児育地蔵に違いない。この2体の間にも石碑がある。これは6月28日付(089)に見た、明治20年(1887)建立の線刻観音像であろうか。こうして見ると、やはり石造物は(破壊を被りながらも)ほぼそのまま現在の大塚山公園に残されていることが分かるのである。加えて、本図が非常に細かく、かなり正確に作られていることも、分かるのである。
 そして手水舎に並んで奥に、満開の桜に隠れるように瓦屋根が見える。なんであるかは分からない。
 道了堂の軒端には鐘が吊されていて、撞木が吊してある。庇の下に羽団扇の額が見える。撞木の下がる側面には人名を並べたらしい額の見える。正面の戸の下部には羽団扇が浮き彫りにされている。とにかく、これらの拡大写真によって、本図の恐るべき情報量の豊かさがいよいよ明らかになった。そして10000円で出品されていたことに気付かず、さらに細部を、より細かく点検する機会を逸してしまったことが返す返すも悔やまれる。前回も要望した通り八王子市郷土資料館でも教育委員会でも何処でも良いのだけれども、八王子市として是非とも本図の細部が分かる鮮明な画像の図録を刊行して、本図の歴史的・美術史的な価値の闡明に努めていただきたいと、改めて要望して置く次第である。(以下続稿)

*1:足偏に「扈」。