瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大和田刑場跡(17)

 酒井正近は天保から明治初年に掛けて、八王子の南、武蔵国多摩郡小比企村に住んでいたらしい。
 しかし北に隣接する武蔵国入間郡越生に移っていた時期もあったようだ。
 もちろん、私はこの刀工のことを知っていた訳ではないので、国立国会図書館デジタルコレクションで検索して、ヒットしたものをメモしているだけである。いや、村下要助『生きている八王子地方の歴史』は従来通り(?)図書館の書棚で手にしたので、検索して知った訳ではないのだけれども。
 一昨日取り上げた後藤氏の論稿の載っていた雑誌「刀剣と歴史」には昭和44年(1969)に次の論稿が掲載されていた。
・刀菊山人「刀菊剣筐(五)」 「刀剣と歴史」第四五一号(昭和四四年九月一五日印刷・昭和四四年九月二〇日発行・会員頒布・日本刀剣保存会・80頁)13~16頁上段
 刀菊山人(宮崎三代治)については宮崎三代治『あゝ我が紅顔未来の光――海軍大尉松田光夫の生涯1984年10月5日  初版第一刷発行・定価1,400円・まつやま書房・248頁)奥付上部にある「著者略歴」に、

1943年3月横須賀にて生まれ、終戦後に海軍軍人であった父の郷里の越/生町に移る。埼玉県立松山高校卒業。「日本刀剣保存会」にて日本刀と歴/史について学ぶ。その後、独学にて文学を学び、「日本児童文芸家協会」/に所属、「児童文芸」「歴史と人物」「刀剣と歴史」誌などに執筆。
著書に「飯能戦争に散った青春像」(まつやま書房刊)がある。

とあって*1、当時20代で連載を持たさせるくらい熱心に、日本刀剣保存会にて福永酔剣に師事して学んでいたようだ。
 さて、この回は全て「六、濤江介正近という珍刀」なる話題で、まづ郷土刀が注目されていることに触れて13頁上段8~15行め、

 今回の濤江介正近という珍刀は、私の郷里である埼玉の片/田舎に伝えられてきた銘鑑漏れのもので、世の名作名品とは/およそ縁遠い刀ではございますが、郷土刀研究に深い関心を/寄せておられる各位のご参考に供し、この一無名の刀工の足/跡をもう少々詳しく知り得たく存じますので、ご一読後にお/心当たりがございますならば、ご協力をお願い致します。
 濤江介正近という刀工が一時的に駐在したと思われますが/私の郷里とは、おおよそ次のようなところでございます。

として、越生の地理について述べる。――11月12日付(14)に取り上げた村上孝介『刀工下原鍛冶』*2が3月に刊行されたところなのだが「東京都文化財調査報告書」として目立たず刊行されたせいか、残念ながら参照しておらず、殆ど知られていない「珍刀」として紹介しているのである。
 下段9~17行め、

 さて、この田舎町である越生の地に、偽物刀作りの名手が/いてさかんに刀を鍛えていた、という話を大分以前から聞い/ていたのですが、なかなかに調査する暇が見出せずに、今日/に至ってしまったのですが、先だってようやくその機にめぐ/まれましたので、ご紹介いたします。
 押形の①と②は、以前この町で町長をしていた鈴木和三郎/氏のご所蔵で、①の刀は、
 於越生濤江介正近、安政四年二月日
 と銘されており、まだ打下ろしです。‥‥


 押形は14頁の上 2/3 に図版として掲出されている。②の銘は1行めに「於・武陽越生、長生正近作。」と紹介されている。
『統計おごせ』平成28年版(平成29年3月・越生町企画財政課・63頁)56頁「(2)越生町歴代町長」によると鈴木和三郎は第14代越生町長で昭和4年(1929)5月15日から昭和21年(1946)11月11日まで町長を務めている。
 10~13行め、

 押形の③刀は、この町で酒屋を営ま/れておられる横田省吾氏のご所蔵で、
 濤江介正近作、横田直方所持
 との銘が刻されており、‥‥

とあって、続いて寸法や横田省吾の祖父横田直方の出自などを説明しているが割愛する。押形の図版は15頁右下にある。
 15頁上段3行め~下段5行め、

 私が実見した濤江介正近という刀/は以上の三点にすぎませんが、この/他に、この町で酒造業を営まれてお/る新井雄亮氏が刊行された『越生昔/がたり』という本に、
 於越生正近作、安政四年三月日
 と銘された一刀が掲載されており/ますが、中心の写真のみですので姿/形その他は不明です。
 そして、この書中には、「偽刀作/り正近のこと」、と題して、次のように紹介されておりま/す。
「幕末安政の頃にせ刀作りが越生にいた。名を正近という。/稀代の名工ながらにせの刀ばかり作ってた。私の四代前の人/が刀道楽で集めた中にも、相当のにせ物があったから、正近/が出てからの越生地方に残っている物の中には、正近のにせ/物が相当あるのではないかと思う。私の子供の頃、先を切っ/て鉈にしたりなぞして、今は殆んど残っていない。惜しい事/をした。正近の住居等は不明であるが、今の本町附近だった/という……」
 私が新井氏を訪ねた時には、折悪く病床にふされており、/【15上】先の正近刀についてお尋ねすることはできませんでしたが、/またお見せいただける日もまいるかと思います。
 町の古老の言によりますと、何んでも正近という刀鍛治は/流れ者であり、一時的に越生の地に住しておったということ/ですので、‥‥


 当時刊行されたばかりだった新井雄亮『越生昔がたり』(昭和43年・黄土社)は、出来れば原本から引用したかったのだが、国立国会図書館には所蔵がなく(従って国立国会図書館デジタルコレクションには入っておらず)都内の公立図書館にも所蔵されていない。――もし埼玉県の図書館に行く機会が出来たら閲覧したいと思う。
 さて、ここまでが越生に伝わる刀の紹介と、その作者についての伝えである。以下、宮崎氏が「福永先生」すなわち福永酔剣に尋ねながら考証をしたところが述べてあるが、色々と問題もあるし長くなったので次回に回そう。(以下続稿)

*1:2行分空けて住所/電話を添えるがこれは割愛。

*2:2024年1月15日追記】書名を『武蔵下原鍛冶』と誤っていたのを訂正。