瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉田秋生『櫻の園』(7)

 来月、(と云うか、いつの間にか今週末になってしまったが)中原俊監督映画の Blu-ray 盤が発売される。

櫻の園 [Blu-ray]

櫻の園 [Blu-ray]

 この映画については、2015年8月9日付(1)に差当り2種のDVD、ちらし、パンフレットを示して置いた。このうち、当時見ていたDVDはHDリマスター版(ODESSA ENTERTAINMENT)のみであったが、その後、最初に出たARGO PICTURES SERIES版(パイオニアLDC)を見ることが出来たので、HDリマスター版と比較して見た。改めてDVDのパッケージを、ついでに当時示せなかったVHSとともに示して置こう。
 すなわち、発売の順序としては、
①Laser Disc(PONY CANYON LD)
櫻の園 [Laser Disc]

櫻の園 [Laser Disc]

②VHS(PONY CANYON
櫻の園 [VHS]

櫻の園 [VHS]

③DVD〈ARGO PICTURES SERIES〉(パイオニアLDC)PIBD-1002④DVD〈HDリマスター版〉(ODESSA ENTERTAINMENT)THDT-20581Blu-ray(ODESSA ENTERTAINMENT)
と云うことになる。
 ③と④の映画本編の内容は同じ。画質も余り差があるようには見えない。
 異同としては、版元が代わったことに伴って音楽が始まるまでが変わったことで、③④ともにまづ、黒地に白抜きゴシック体、均等割付で注意書きが出るところは同じ。

このビデオグラムは、一般家庭での/私的視聴に用途を限って販売されています。/したがって、無断で複製、放送、有線放送、/上映、レンタル(有償・無償を問わず)する/ことは法律によって一切禁止されています。


 これは③の文面で④は静止させられないのでメモ出来なかった。
 続いて③は白地に「Pioneer」のロゴ、④は「ODESSA エンターテインメント」のロゴが出る。
 ③はさらにやはり白地に黒のゴシック体で「presented by/PIONEER LDC, INC.」と中央揃え。そしてしばらく黒くなった後に、白地の中央に横組みで3行、1行めは大きく「 ARGOPROJECT」とゴシック体、最初の記号は赤の左上の切れた▽と右下が切れた白の三角(赤で縁取る)を重ね合わせた六芒星型で「A」と「G」の図案化と思われる。その下、2行めに上下を水色の横線に挟まれてやや大きく「提供 アルゴ プロジェクト」とありその下に3行め「提供 日本テレビ」と添える。
 この辺り、④の方は黒地に桃色の長方形に明朝体白抜きで、上部に「櫻の園」幅いっぱいでない白い横線を挟んで下部に「監督 中原 俊」。さらに黒地にやや黄色い明朝体横組みの中央揃えで、

キネマ旬報
最優秀作品賞・監督賞・脚本賞
毎日映画コンクール
日本映画優秀賞・女優助演賞
日本アカデミー賞
作品賞・監督賞・脚本賞編集賞・新人俳優賞
 
文化庁優秀映画作品賞
ゴールデンアロー賞 映画賞

と華々しい受賞歴を示す。仮に太字にした3つの賞はやや大きい明朝体
 黒地になってすぐ熊本マリ(1964.10.15生)演奏の Federico Mompou(1893.4.16~1987.6.30)作曲「Variations sur un thème de Chopin(ショパンの主題による変奏曲)」が流れ(といってもこの辺りは変奏の主題である Chopin の「24 Preludes, Op. 28(24の前奏曲作品28)」の第7番イ長調、かつての太田胃散のCMの曲そのままである)、中央に横組み白抜きで2行、1行めは隷書体で「制作●ニュー・センチュリー・プロデューサーズ」2行めは片仮名はゴシック体、漢字は明朝体のそれぞれ太字で「サントリー株式会社」と出、また黒くなって黒地にやや桃色がかった白の標題が出て、以下は③④とも、エンディングが終わるところ、変奏曲の最後に黒くなって左下に白抜きの映倫の番号、右下にゴシック体白抜き横組みで「©1990 NCP     /    サントリー株式会社」と出て曲が終わるところまでは同じ。その後③は「 ARGOPROJECT」の画面が再度出る。④は白抜きゴシック体で「発売・販売元 : オデッサ・エンターテインメント」と出る。
 さて、墨書風の題字は2015年12月29日付(5)に検討した単行本及び文庫版の題字に同じ*1

忘れられた調べ

忘れられた調べ

 熊本氏の主題曲は上に貼付したアルバム(1つは映画以後)に収録されているが、未だ通して聞く機会を得ない。(以下続稿)

*1:今手元に単行本の第23刷がある。

赤いマント(207)

吉行淳之介『贋食物誌』(2)
 昨日の続き。
 和田氏との対談ではごく簡略になって、当初女学生を狙っていることになっていた件などが見当たらない。これは7月18日付「吉行淳之介『恐怖対談』(3)」に引いた、恐怖対談シリーズの担当編集者・横山正治「解説」にあったように、元の「速記録」の「分量」を「三分の一から四分の一」に「整理し」てしまうため、省かれてしまったのかも知れない。もしもう少し色々語っていたとすれば、ちょっと勿体ないように思う。
 それはともかく、落語を聞いていると「鼻は崩れて穴だけになってしまう」病気は梅毒(瘡)だと思ってしまうのだが、吉行氏もこの点に引っ掛かったのか、和田氏との対談では「レプラ」ではなく「梅毒の末期かなにか」としていた。しかしながら、「ハンセン病制圧活動サイト Global Campaign for Leprosy Elimination」の「日本のハンセン病」の「ピープル/ハンセン病に向き合う人々 >」の 2015.12.25「遠藤 邦江(菊池恵楓園入所者)」インタビューを見るに、

先に入所していた兄は、その後、鹿児島(星塚敬愛園)に移って、いまは風見治っていうペンネームで通ってます。『鼻の周辺』という本を書いたりしました。よく小説などでハンセン病のことを書くときに、「鼻が崩れ落ちた」って表現をしているでしょう。兄はまさにそれだったんですよ。鼻がなくなってしまった。その体験をもとにした小説です。もうひとり、べつの兄は新聞社につとめていたんですが、うちの兄弟はどうもものを書くことが好きみたいですね。

との一節があって、ハンセン病(レプラ・癩)でも鼻が落ちてしまうことがあったようだ。

鼻の周辺

鼻の周辺

 そして、他の赤マント流言当時の資料を見ても、――2013年11月18日付(28)に引いた、昭和14年(1939)4月1日発行「中央公論」第五十四年第四号(第六百十九号)の「東京だより」に、流言が広まり始めた日に小学生の娘が「癩病病院を脱け出して来た」と云う「赤マントの佝僂男」が「小学校の三年と四年と五年の女子の血をすすると癩病が治る」との噂を語っていたことが記録され*1、同じ号に掲載された、東京の赤マント流言を総括した大宅壮一「「赤マント」社会学 活字ジャーナリズムへの抗議」には、2013年11月20日付(30)に引いたように「その男が危害を加えようとする相手は、少年少女だともいい、処女だともいい、或は或る年齡の女に限られているともいい、その点はまちまちである。無垢の血を求めているとか、若い生胆をねらっているとかいうことが、その犯行の動機になっている。それによって彼の業病天然痘ともいい癩ともいう)を治そうとする信仰に基づいているといわれる」と纏めてあった。或いは、2013年12月2日付(42)に見たように、前年6月に名古屋で発生した癩病患者の Korean による生胆取り事件に言及する新聞もあった。2018年9月3日付(161)に引いた「経済雑誌ダイヤモンド」第二十七巻第七号の近藤操「旬評/赤マント事件の示唆」は、大宅氏の「「赤マント」社会学」に先行する、まだ流言が終熄する以前に執筆された論評だが、「小児や婦女子を襲う」理由として「それが天然痘患者に対する迷信的治療のために生血を取るのだとも伝えられ、或いは千人とか百人とかの若い女の生血を啜ることが、癩病治療に特効があると迷信した妙齢の女性の犯行だともいい」との説が紹介されていた。――梅毒と云う説は他にないらしいのである。
 生血を啜るとか、生胆を取るとか云うのに比べて、頰擦りとは随分おとなしいようだが、つい先日判決の出た「ハンセン病家族訴訟」を見ても分かる通り、当時のハンセン病に対する誤解と偏見に基づく差別を考えれば、それだけでも大変な恐怖であったろうとは思うのである。(以下続稿)

*1:2013年11月19日付(29)に引いた続く場面で、その姉の女学校の生徒が「女学校は一年と二年生の血を啜る」と云う噂で持ち切りだったと語っているが、癩には触れていない(恐らく同じだから記録しなかったものと思うが)。