瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山田野理夫『アルプスの民話』(5)

 昨日は前回分を途中で投稿することになってしまった。2019年10月に礎稿を作成した際にざっと「目次」を眺めて見当を付けて置いたのだけれども、改めて対照させてみると題名からは察しの付かなかったものが多々あり、他にも前半或いは後半に『山の傳説』に由来しない話を抱き合わせてあったり、思いの外確認が面倒で時間が掛かってしまった。
 しかし「はてなダイアリー」のときと違って「はてなブログ」では、分割してしまうと検索に不便だと思われるので、残りの分も前回の記事に追加して置いた。
 「←」とした話は山田氏が青木純二『山の傳説 日本アルプスの、通俗小説じみた表現をあっさりと書き直した話、「≒」は、山田氏が別に得た知識を加えたり、一部を拡大したりして書き直した話、くらいに考えて分けて見た。厳密な検討を経たものではないので、今後、判断を変更するかも知れない。しかしそれもこれも書き換えの程度の問題で、いづれにせよ青木純二『山の傳説 日本アルプスに取材したものであることに変わりはないと思う。
 『山の傳説 日本アルプスに収録された話は、その後、当ブログで検証したように杉村顕『信州の口碑と傳説』にその多くが採られ、『山の傳説』から直接、或いは『信州の口碑と傳説』やその影響を受けた本から間接的に再利用されて現在に至っているので、本当に『山の傳説』に拠ったのか、検討の余地があるのだけれども、本書に関しては簡単に識別することが可能である。――越後(新潟県)の蓮華温泉の話を恐らく地理不案内から採ってしまった『信州の口碑と傳説』だけれども、流石に黒部や立山の話は除外している。すなわち、信州(長野県)だけでなく、立山黒部峡谷など、越中富山県)の話が含まれておれば、『山の傳説』に拠ったと見てほぼ間違いないのである。
 ところで「日本アルプス」ではない(白山)や(白峰山)とする話が幾つか混ざっているが、これは7月24日付(2)に注意した、本書の仮題が「日本の山の民話」だったらしいことと関係していよう。当初『海と湖の民話』と対になる『日本の山の民話』として準備していたが、出来上がったものは『山の傳説 日本アルプスの書き換えが主になってしまい、これに若干の中部地方の話を足しただけのものとなってしまった。地域に偏りがあるのに「日本の山の民話」と名乗らせるのは如何か、と云うことになって最終段階で標題を『アルプスの民話』と変更したものの、その際、若干混入させていた日本アルプス以外の話はそのままにしたのであろう。
 この加賀(石川県)の話の典拠の見当も付いているのだけれども、準備が必要なので来月以降に報告することとしよう。『山の傳説 日本アルプスに依拠していない(伊 那)や(大無間山)の話についてはもう少し時間が掛かるかも知れない。
 それから、どうも山田氏が日本アルプスとは無関係な地域に伝わっている話を、『山の傳説 日本アルプスと同じ地域の話として差し込んだ(つまり、でっち上げた)ケースも幾つか見られるようだ。先行する話が存在しないことを証明しないといけないのだけれども目下のところ中々そんなことをしていられないので、飽くまでも現時点での私の見当だけれども、【13】【17】【26】【32】【34】【35】【41】前半、【56】【64】【87】辺りはちょっと注意して置きたい。そして【25】後半は前半の話の印象を薄めるために創作したように思われるのである。
 「はしがき」に、7月25日付(3)に注意したように「この民話の意味は広義に解釈して収録してみました」とあるが、これは『山の傳説 日本アルプスの内容の然らしむるところで、約2/3を『山の傳説』に負っている。「はしがき」に「山里で民話のきき書きをはじめて七カ年ほどになります。‥‥。日本アルプスから更に、いまわたしは日本の山々へ民話を求めて旅を続けています。」と述べているのは虚誕――詩人として評価するのであれば、自分が美しく再話(リライト)した民話の世界に読者を引き込むための一種の詐術、と断じて差し支えなかろう。それにしても、7月24日付(2)に見た「はしがき」の追記「新書のことば」にて、このリライトを主とする本を「自選の著作三冊」のうちに「挙げ」たと云っているのは、私なぞからすると如何かと思ってしまうのだけれども、余程この語り直しに自信を持っていたのであろう。(以下続稿)