昨日の続きで最後、5章めを①上製本(初版)第一刷にて見て行くこととする。要領は10月17日付(05)に同じ。
259頁(頁付なし)中央上部に大きく「木 曾 路」。260頁(頁付なし)は左下に「西筑摩郡」。2012年11月30日付「泉鏡花『高野聖』の文庫本(4)」の後半に述べたようにその後「木曽郡」に改称されている。
【48】木やりをうたう狐〔西筑摩郡〕261~265頁(挿絵261頁上)
はなし 西筑摩郡木曾福島町 生駒勘七
【49】焼棚山の山姥〔西筑摩郡〕266~270頁(挿絵266頁左下「や.」)
はなし 下伊那郡龍江村天龍峡 牧内武司
【50】狐檀家〔西筑摩郡〕271~276頁(挿絵271頁上)
はなし 西筑摩郡木曾福島町興禪寺住職 松田芳山
【51】機の音/――のうが池のはなし――〔西筑摩郡〕277~280頁(挿絵277頁左下「や.」)
はなし 西筑摩郡木曾福島町 生駒勘七
【52】寝ざめの床の主*1〔西筑摩郡〕281~284頁(挿絵281頁左下「や.」)
はなし 西筑摩郡上松町 山崎胱治郎
【53】力もち権兵衛の話〔西筑摩郡〕285~289頁(挿絵285頁上「ゆ」)
はなし 西筑摩郡木曾福島町 生駒勘七
【54】姫淵のうた〔西筑摩郡〕290~293頁(挿絵290頁上「ゆ」)
はなし 西筑摩郡木曾福島町 生駒勘七
【55】わらべうた 294~296頁
てまり唄(平沢)/(妻籠)/(中部北部)/?
凧あげ唄(黒沢)
数とり
信濃教育会木曾部会編「木曾民謡集」より
半分の4話の話者である生駒勘七(1919.5.13~1987.5.16)は、経歴から云っても編集委員会に入っても良さそうな人物である。山崎氏については10月15日付「白馬岳の雪女(068)」に引いた「はしがき」に「養老院につとめながら、そこの老人たちの昔話を集めている木曾の山崎さん」とあったが、結局本書に使用された【52】以外は日の目を見なかったようだ。それとも何処かに発表されているであろうか。――興禅寺のことなど2020年3月28日付「飯盒池(8)」に取り上げた『民話の世界』に記述があったと思うので、追って再確認する機会を作ることとしよう。昨日見た「伊那谷」は殆ど文献に拠っていたが、この「木曾路」は話数は多くないが自身現地を訪ね、強い印象を受けたために中信から切り離して独立させたようである。
なお【51】は原野(西筑摩郡日義村、現在は木曾福島町等と合併して木曽郡木曽町日義原野)の話であるが、現在、附近で「のうがいけ」なる池を探すと、原野の南南東に位置する木曾駒ヶ岳の山腹にある「濃ヶ池」にしか尋ね当たらないが、木曾谷側ではなく伊那谷側(上伊那郡宮田村)なのである。しかしながら更に地名を見て行くと木曾駒ヶ岳の北面を水源として原野を流れて木曾川に注ぐ正沢川に「濃ヶ池川」なる支流がある。現在、池はないが地理院地図を見るに、谷底に池があったらしい平坦な地形が認められる。そこで、日義村誌編纂委員会 編集『日義村誌自然編』(平成17年2月21日 印刷・平成17年2月28日 発行・日義村誌編纂委員会・口絵+ⅹ+338頁)1~76頁、第1章「地形・地質」の63~74頁「第5節 災 害」を見るに、江戸時代後期まで、この濃ヶ池川の中流、標高1500m附近の平坦になっている辺りにも「濃ヶ池」があったのである。――同名の池が5kmほどしか離れていないところに2つあり、しかも1つがなくなっているとすると、そのなくなった1つにまつわる話も、うっかり残っている方の話にされてしまいそうだ。実際、既に混乱が発生しているかも知れない。以後注意して見て置くこととしよう。(以下続稿)
*1:ルビ「ぬし」。