瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(168)

【4月10日追記】
 以下の内容については、先方より誠意ある回答を得て解決しました。
 記事については備忘と自戒のため、そのままとして置きますが、現在何の問題もなきことをお断りして置きます。

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 私は西暦は余り好きではない。キリスト教を奉じているのでないし、そもそもある地域の数え方が一般的になっただけである。これまで読んで来た本は昭和に刊行された本が多いから、どうも私は、昭和までは年号を使って考えたいと思ってしまう。けれども、平成になると学生だった10年代までは左程抵抗感はないけれども、20年代以降になるともう西暦で良いのではないか、と云う気分になって来る。夏目漱石ではないが、21世紀になるともう日本本位では行かないのである。
 今日、新元号が発表されたけれども、何故「令」などと云う字を使ったのだろう。あれは使役の意味ではなく云々、と擁護する意見が随分強調されているが、この字が China でも日本でも Việt Nam(越南・大越)でもこれまで全く使用されたことがなかったことで、大方察するが良い、と云えば十分であろう。
 当ブログでも改版についてのメモで注意したように、多くの出版社が平成改元時に年号使用を止めている。そもそも日本でも年号は不便なものと感ぜられていた*1。数が多くて順番が覚えられない。私も南北朝合一後の年号は大体覚えているけれども、それ以前は半分も覚えていない。それは昔の人も同じで、では昔の日本人はどうやって歴史の順序を覚えたのかと云うと、天皇の代数で覚えたのである。江戸時代の寺社の由緒書や文学作品で過去のことを語るとき、やたらと「第何代××天皇の御代」と天皇の代数を持ち出すのは年号ではいつなのか当時の人もイメージ出来なかったからで、天皇の順序で見当を付けたのである。典拠を見ても何故この文句からこの2字を抜き出したのか首を傾げざるを得ない*2し、今回がいよいよ切り替え時であろう。尤も、業務上使わざるを得ない場面は出て来るけれども、当ブログでは新元号は一切(引用を除いて)使用しないことにする。

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 私は余り人と細々と連絡を取り合ったりしたいと思っていないので、2013年12月31日付「記述の方針について」に述べたようにコメント返しもしないし、twitter もやらない。投稿を twitter と連携させればもう少し注目を浴びることになって、私が歯がゆく思う状況を変える力を得られるかも知れない。作家やライターや編集者の記述の疑問箇所について色々突っ込んでいるけれども、当人の twitter に絡めば返答はもらえるだろう。しかし、面倒なのである。人目に触れるようになるのも、それはそれで色々面倒なことになりそうだ、と思ってしまうのである。
 そんな訳で、twitter にて当ブログのことが話題になることは殆どない。しかしたまに取り上げられることもあるのでたまに egosearching してみるのだが、先月中旬、以下のような tweet がヒットした。烏山奏春の3月12日19:36の tweet

返信先: @kadonotoufuさん
どこぞの雑誌では、疱瘡神除けとも関連付けてましたね。
赤マントを調べるなら、やはりブログ「瑣事加減(https://samatsutei.hatenablog.com )」が一番情報が豊富でした。


 これには「返信先」とあるように、クダンノシゴトと云う人とのやり取りなのであるが、この tweet に対する、そのクダンノシゴトの同日19:38の返信 tweet を見るに

それからさらにどう発展させるかですね。
とりあえずストックします。


 何だか妙なやり取りだなぁと思って、前の方を辿ってみると、クダンノシゴトなる人物は西日本化け物・妖怪愛好会なる会を主宰していて、その妖怪同人誌に烏山氏が寄稿した、その内容についてのやり取りなのであった。――烏山氏の原稿発送の tweet を承けて、しばらく後に内容を一覧したらしいクダンノシゴトの3月11日21:31の tweet に、

確認している事象は違いますが、していることが手に取る様に分かります。
いま、時間に余裕が無い私は羨ましい。
思う存分確認したい。
国会図書館関西館では不満も多いが、それでも通いつめたい。
特にお尻の方は、大きい範囲で私の守備範囲なので、さらに突き詰めていただくか、私が引き継ぎたい…。

とあったのに対して、翌12日19:16の鳥山氏の tweet は、

ありがとうございます。
メールでも情報をいただきましたが、個人的には赤マントに関しては、吸血鬼と呼ばれていた事実が分かればあとはあまり…ですね。

と、乗り気でないような返信なのだが、待ち構えていたようなクダンノシゴトの同日19:21の返信 tweet に、

なので、やりようによっては引き継げるかな?
と…。
材料としては中々で面白いです。
女性だ、という事例もあるようで、山姥、赤マント、口避け女の流れで考える向きもあるようで…。

とあって、最初に引いた「瑣事加減」で検索して引っ掛かった烏山氏の tweet になるのである。
 ――しかし、このやり取りはなんなのだ。人のことを勝手に過去形で語らないでくれ。一頃のように集中してやってはいないが、昨年明らかにし得たこともあるし、今年は80周年記念で、2月19日付(167)にも述べたように、出来れば本にまとめようと思っているのだ*3。何が「どう発展させるか」だ。無礼にも程がある*4。それから、私の揃えた資料を摘み食いした誰かにあらぬことを述べられるくらいなら、一度私に、それなりの場で書かせて下さい。

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 まぁ、こんな風に書くから敬遠(!)されて、私は面倒な仕事を負わされる立場にならずに済んでいるのだけれども、四月馬鹿の冗談として少々 tweet 内容を曲解して控え目に(?)アピールした次第。(以下続稿)

*1:年齢は干支(十干十二支)で勘定していた。だから「還暦」なのである。

*2:その典拠、張衡「歸田賦」なら、らしく見えるけれども。しかしいくら典拠では良い意味で使われているとしても、やはり元号に使うような好印象を「令」には持ちえない。

*3:本の内容については2017年12月22日付「Guy de Maupassant の文庫本(5)」の付け足しに述べた。【4月4日追記】80周年の2019年2月に刊行したいと云う希望は、2018年3月27日付「事故車の怪(7)」にも述べていた。

*4:――と、うっかり tweet しかねないので、私は twitter を使おうと思わないのである。