私は兵庫県明石市の生れだけれども、生後43日で新幹線に乗って神奈川県に移ったので、播州弁を母語として生育していない。
しかし、一応兵庫県出身と云っても宜しかろう、と思うのは、小・中の義務教育と今や義務教育と云っても良さそうな高校の12年間のうち、半分の6年間を兵庫県で過ごしているからである。他は静岡県で2年(幼稚園の2年も足すと合計4年)、神奈川県で4年であった。そして高校卒業後東京に出て来て1年間の浪人期間から8年余り、2019年12月5日付「芥川龍之介旧居跡(16)」以下に回想した、都内の戦前のお屋敷(!)で過ごし、その後、東京近辺で4回転居して今に至っている。
その最初の3年間、小学3年生から5年生まで、そして次の3年間は高校の3年間、私はテレビを殆ど見なかったようだ。小学生のときには喜劇の舞台中継を見ていた記憶があるが、それ以外に関西のテレビ番組の思い出が殆どない。漫才などの藝能も、見ていない。関東出身の父が大阪の藝人を好まなかったからかも知れない。しかし父は殆ど家にいなかったから、大阪出身の母がそういう番組を見なかったことが大きいのだろう*1。上方落語はどう思っていたか知らないが、漫才は意識して避けていたように思う。
高校時代は運動部に属していて、2014年8月17日付「三島衛里子『高校球児ザワさん』(3)」等に述べたように、疲れ切って帰って来て、まづ寝てしまうような生活だったから、テレビなど殆ど見なかった。それは運動部を引退して*2からも変わりなく、「探偵ナイトスクープ」は見た記憶があるが、それ以外に何を見たか覚えていない。高校3年生のときに、当時住んでいた町を舞台とした連続TVドラマが放映されていたのだが、学校でも全く話題になっておらず、いや、話題になっていたのに私が除け者にされていただけなのか、数年前にあるブログの記事で初めて知って、当時、某巨大動画サイトに全話上がっていたので視聴して、私の知っている場所が多々映って大変懐かしく思ったのだ*3が、そんな按配でまるでテレビの思い出がないのである。
だから私が上方藝能に接するようになったのは東京に移ってからで、まづ桂米朝の上方落語から入り、それから、院生時代に次の録音を聞き、本を読んで、ようやく漫才にも親しむようになった。
・『上方漫才黄金時代 実況録音』
- 作者:長沖 一
- 出版社/メーカー: 九芸出版
- 発売日: 1978/06
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今からすると、高校時代に普通に放送されていた上方落語の番組などを見ておれば、どのくらい後々役に立ったか知れないのだが、もう仕方がない。せいぜい、2017年12月31日付「宇井無愁の上方落語研究(1)」に述べたように、桂べかこ(現、南光)等、二代目桂枝雀の弟子の落語を高校の芸術鑑賞で聞いたことがあるばかりであった。
しかしながら、全く放送に無縁に過ごしたのかと云うとそんなことはなくて、映像ではなく音声で、毎日のように接していたのである。(以下続稿)
*1:父は子供のことで何か気になることがあると、母に命じて注意させていたから、やはり父の意向が大きいのかも知れない。今になって「この人は狡いのよ、自分は嫌われたくないから私に「お前、注意しろ」とか言って、自分は・・・・」と恨み言を言われている。
*2:【1月5日追記】と云うか、正確に云えば2017年4月3日付「山岳部の思ひ出(6)」に述べたように「追放されて」。
*3:このドラマについては記事にしようと思って書き掛けていたのだが、その後、視聴出来なくなり細部の確認が出来なくなったので、そのままになっている。