瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『南太平洋ひるね旅』(07)

・「後記」について(承前)
 11月16日付(05)の続きで、②新装版12刷の「後記」の後半を引いて、これが③文庫版④全集にどのように引き継がれているか、見て置こう。改稿もしくは削除・加筆されている箇所を灰色太字で示した。
 ②12刷、1行分空けて9~14行め、

 なお一九六八年にハワイへ行った折、本書中に出てくる日本人街とシナ人街とが入りまじった汚な/い道がすっかり区画整理され、道も広がって綺麗になり、かつての情緒がまったく感じられないのを/見た。またフィジーの少数の選手団が旗を立ててメキシコ・オリンピックに入場した情景をテレビで/見た人も多いと思うが、一九六六年国連がフィジーの独立を英国に要請しており、いずれはこの島も植民地でなくなるであろう東サモアも、懐しきレインメーカー・ホテルだけがあったパゴパゴに近/代的ホテルができた。南太平洋の島々よ、なるたけ長くその美しさを残してくれ。(一九六九年記)


 ③二十一刷・二十二刷227頁10行め~228頁2行め(改行位置「/」)、④251頁上段11行め~下段2行め(改行位置「|」)、

 一九六八年にハワイへ行った折、本書中に出てくる日本|人街と中国人街とが入りまじった汚な/い道がすっかり区画|整理され、道も広がって綺麗になり、かつての情緒がまっ|たく感じられない/のを見た。またフィジーの少数の選手団|が旗を立ててメキシコ・オリンピックに入場した情景を/テ|レビで見た人も多いと思うが、その後一九七〇年十月には独立してイギリス連邦の一員となり国連にも加盟した。東|サモアも、懐しきレインメーカー・ホテルだけがあったパ|【251上】ゴパゴに近代的/【227】ホテルができたし、もちろんジェット機|発着している。幻想の島々も急速に変ってゆくのだろ/う。


 次いで下寄せで、10月26日付「赤いマント(288)」及び10月27日付「赤いマント(289)」に見たように、やや小さく③228頁2行め(一九七三年記)、④251頁下段3行めに(一九七三年)とある。③④には続いて(一九七六年附記)があるが、これは10月28日付「赤いマント(290)」に抜いて置いた。
 ③文庫版には続いて田畑麦彦「解説」があるが、これについては③文庫版の初刷と後刷を比較する際に触れることとしよう。④全集は251頁の裏は白紙。
 ②12刷は頁付があるのは259頁までで裏は白紙。①は258頁の次が白紙で、その裏に、中央下寄りに、明朝体でやや小さく、行間を広く取って、

この本の写真は、パン・アメリカン航空提供の一枚とダニエルソン/氏の好意によるもの二枚のほかは、全部著者の撮影です。表紙の写/真は、一四八頁に黒白で複製したものと同じで、ニューカレドニア/付近の上空から、波が高まれば沈んでしまいそうな指貫*1のような環/礁をうつしたもの。

とある。前回見たように①12頁のパン・アメリカン航空提供の写真は、②19頁で『世界周航記』の図版と差し替えられている。表紙の写真には11月15日付(04)に触れたが、148頁の写真は全景だが表紙では環礁の右が切れている。(以下続稿)

*1:ルビ「ゆびぬき」。