瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

昭和史

赤いマント(328)

一昨日、12月28日付「『稲川淳二のすご~く恐い話』(6)」に少し苦情(?)を述べたように、私は赤マント流言について長らく調べていて、恐らく日本で一番詳しいのだけれども、執筆希望を出しているのに何処からも執筆依頼がない。それどころか、当ブログ…

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(11)

・「ふるさと八王子」の転載 本書は「ふるさと八王子」の記事を多く、ほぼそのまま転載している。しかし、その殆どが明示されていない。 そこで、ここに一覧にして纏めて置いた。巻二については、ここに追加するか、それとも別に纏めるか、改めて考えること…

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(05)

・巻一(2)八王子地区 本書には、前回引いた「まえがき」にあったように、八王子市内の5つの地区の伝説等が纏められている。 以下、地区ごとに、仮に《番号》を打って細目を眺めて置くこととしよう。4行取り2段抜きの題の左下に添えてある(地名)は、仮に…

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(4)

・巻一(1)まえがき 扉の裏から2段組の「目 次」が4頁(頁付なし)ある。 その次の見開き、2~3頁が「ま え が き」である。――これだと「目次」の4頁めが1頁と云う勘定になるが、扉(頁付なし)が1頁と云うことになろうか。2行めから抜いて置こう。 私は,…

清水成夫 編『八王子周辺の民話』(4)

・郷土資料シリーズ⑷『八王子周辺の民話』(4)跋② 昨日は典拠の問題で終わってしまったが、今回は橋本義夫「跋」のうち、編集について述べた箇所を見て置こう。67頁上段3~8行め、 本シリーズには都合により五十六篇だけ採録されてあ/るが、氏の手元には…

大和田刑場跡(9)

・商工省 編纂『全國工場通覽』日刊工業新聞社 この『全國工場通覽』は震災前、大正11年(1922)12月に出たままになっていたのを昭和6年(1931)に商工省の命により日刊工業新聞社(大阪)から復刊、以後ほぼ毎年刊行されて平成8年(1996)まで続刊されてい…

大和田刑場跡(8)

・『第十二版人事興信録』上(昭和十四年十月十五日印刷・昭和十四年十月二十日發行・人事興信所)サ八六の4段組の1段め37行め~2段め7行め「齋藤知一郎 〈齋藤商會、昭和製紙各(株)社長/靜岡縣在籍〉」項の最初に家族の主立った面々を列挙して、8~12行め…

大和田刑場跡(7)

昨日引いた昭和十五年版『日本紙業名鑑』の疑問点だけれども、翌年に出た次の本によって粗方解消出来た。 ・『日本紙業大觀』昭和十六年十一月十五日印刷・昭和十六年十一月二十日發行・定價三十五圓・紙業日日新聞社・一七+二九+図版+三二〇+一三二+四…

大和田刑場跡(6)

それでは文献の方を当ってみたい。しかし、戦後の文献については数は少なくない(らしい)のだけれども、断片的な記述が拾えるようなものばかりで、問題の工場の変遷を綺麗に纏めて見せるところまでは至っていない。 そこで、今回は戦前の状況について、国立…

大和田刑場跡(5)

現在のカレッジタウンには、Google の口コミを見ても特に大きな問題はないようだが、オープンからしばらくの間は、新聞沙汰になるような騒動の現場であった。詳しくは次の本を見れば判るはずである。未見。 ・『不動産金融商品の神話と現実』 カレッジタウン…

大和田刑場跡(4)

昨日の続きで、問題の紙工工場があった現在の八王子市大和田町6丁目1番、八王子ホテルニューグランドとカレッジタウンが建っている辺りの航空写真を、今度は工場の解体時期と思しき昭和末年から眺めて見ることとしよう。 そうすると、昭和62年(1987)6月8日…

大和田刑場跡(3)

私は今は存しない建物・施設について、それがいつから何時まであったかが気になるのである。 まづは地図で当りを付けて、写真と文献を探って見る。今はネットである程度調べることが出来る。便利な時代になったものだ。 問題の工場があったのは大和田橋北詰…

大和田刑場跡(1)

東京都八王子市『ふるさと八王子』を通覧していて、1章め「ふるさと八王子」の、昭和47年(1972)10月1日発行の八王子市の広報に掲載された【17】「大和田河原の刑場」なる記事が、気になったのである。 記事の冒頭、40頁上段~下段7行め、 天正十八年、八王…

東京都八王子市『ふるさと八王子』(4)

つい半年程前であれば、本書を読んでも別に何とも思わなかったろうが、今は部分的に妙に詳しくなってしまった。 1章め【1】「別所・長池」は近くで昔の同僚が飲食店を開いたので、何度か出掛けたことがある。都内の出身で、別に多摩丘陵には縁もゆかりもなか…

東京都八王子市『ふるさと八王子』(3)

一昨日からの続きで3章めを見て置く。 149頁(頁付なし)が扉で、上部に左寄せで「| 東西南北| 昭和53年12月~54年11月|」と明朝体横組みで入る。 この項は本書刊行前1年程の記事を元にしているので追記の[いま]はない。 【1】150~151頁「野猿峠の水のみ…

東京都八王子市『ふるさと八王子』(2)

昨日の続きで2章めを見て置く。 95頁(頁付なし)が扉で、1章めと同様に上部に左寄せで「| 文化財みてあるき| 昭和50年4月~53年11月|」と明朝体横組みで入る。 【1】96~97頁「石坂弥次右衛門の墓」(50・4・1) 写真(96頁上右)地図(97頁下) 【2】98…

東京都八王子市『ふるさと八王子』(1)

・『ふるさと八王子』昭和55年1月・東京都八王子市・171頁・新書判並製本 初版と二版二刷(昭和55年2月15日)を並べて見た。 表紙・背表紙・裏表紙は全体に淡い灰色地で、表紙の上部から背表紙を経て裏表紙の左側(初版 2.5cm・二版 2.6cm)まで、子…

鑓水の地名(6)

・八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(2) 小泉茂「鑓水の地名の起こり」の続きで最後の4段落め(116頁右4~10行め)、 古くは裏山から湧き水を引き込んだ家が多か/ったが、今は水道の普及により、ただ一個所だ/け、…

八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(2)

昨日の続きで、本篇の「八王子・昭和の語り部」を見て行こう。 17頁(頁付なし)は扉、18頁「は じ め に」は、15頁の橋本晴重郎顧問と同様の趣旨説明がなされている。 そして19頁から左右2列に寄稿が支部ごと、クラブごとに並べられて行く。126~…

八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(1)

・八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』平成25年(2013年)9月・八王子市老人クラブ連合会・170頁・A4判並製本 書名は背表紙及び17頁(頁付なし)扉に拠る。 表紙と裏表紙、それから1~8頁がカラー頁で写真に充て…

鑓水の地名(1)

鑓水と云う地名の由来については、槍に付いた血を水で洗ったからだ、とする説が横行(!)していて、当ブログでも2018年10月10日付「閉じ込められた女子学生(07)」に引いた2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」の、2004年5月28日に書き込まれた「…

道了堂(108)

・小泉二三『思い出の鑓水』 昨日まで本書について確認して来たのは、もちろん道了堂の記述と写真があるからである。 写真については、10月18日付「小泉二三『思い出の鑓水』(1)」に見たように、まづ「絹の道と鎌倉街道と塩の道と」の19頁上に「道 了 様…

小泉二三『思い出の鑓水』(3)

・地方文化叢書1『思い出の鑓水』(3)著者② 昨日触れた『ふるさと板木』84~86頁「はやしことば 板木谷戸名取抄」だが、無記名だが小泉栄一と思われる「わたし」の推測では作者に擬せられている宮崎利吉については、89~94頁「板木谷戸年表」に、92頁上段…

小泉二三『思い出の鑓水』(1)

・地方文化叢書1『思い出の鑓水』一九七四年六月二〇日発行・地方文化研究会・35頁・A5判並製本 表紙の用紙は短い毛を漉き込んだ横縞の透かしを入れた、やや青みがかった模造紙で、表紙とごく薄い背表紙の全面、そして裏表紙の左側に八王子市旧市街から百草…

ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(2)

前回見た「家と人と」だが、収録順は番地の順である。なお「―― 写真撮影 昭和44年1月――」とあるので年齢は昭和44年(1969)1月1日現在、すなわち昭和43年(1968)の誕生日での満年齢なのではないか、と思ったのだが、16頁下の「戸 主 小 泉 隆 造」の家族写…

ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(1)

・『ふるさと板木』昭和四十六年四月三十日・非売品・ふるさと板木編集委員会・95頁 本書は、多摩ニュータウンの開発によって破壊される直前の、東京都八王子市鑓水の南東部、板木(伊丹木)谷戸を記録した写真集である。 都内・都下の図書館に幾らか所蔵さ…

道了堂(104)

昨日の続き。『日本農業全集』第三十五巻「月報」の山田桂子「「絹の道」をゆく/――東京・八王子市鑓水にて――」の5節め「北村透谷や武相国民党にもゆかりの道」の冒頭、10頁下段4~7行め、 その当時は、この/峠のふもとに茶店が/五、六軒あったとい/う。 …

道了堂(103)

昨日の続きで『日本農業全集』第三十五巻「月報」の山田桂子「「絹の道」をゆく/――東京・八王子市鑓水にて――」の4節め「道了堂は荒れていた」を見て置こう。 道了堂は大塚吾郎吉をはじめとする地元の生糸商人や豪農らの/寄進によって、明治七年に建立され…

道了堂(102)

昨日の続きで『日本農業全集』第三十五巻「月報」の山田桂子「「絹の道」をゆく/――東京・八王子市鑓水にて――」の内容を確認して行くこととしよう。と云って全てを押さえる訳には行かぬので、当日の状況、それから道了堂や絹の道・鑓水に関連するところに絞…

道了堂(101)

昨日取り上げた『やってみたいな こんなしごと』は、40頁(頁付なし)奥付の上に、まづ写真担当、次いで文の担当者の順で、顔写真の左に紹介文、右に「ひとこと・」として取材の感想がある。――山田氏の紹介だが、『看護婦さん』は1行め「文・山田桂子(やま…