瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

地理

祖母の蔵書(79)組紐①

・長沼静『美しい組紐 上』発 行――昭和五十二年一月十五日・1,600円・泰流社・139頁・B5判上製本美しい組紐 上―伝統的な日本の手工芸作者:長沼 静泰流社Amazon・長沼静『美しい組紐 下』発 行――昭和五十二年四月五日・1,600円・泰流社・130頁・B5判上製本美…

祖母の蔵書(53)司馬遼太郎④

・新潮文庫7299/し-9-1『梟の城』昭和 四 十 年 三 月 三 十 日 発 行・昭和五十二年 九 月 十 五 日 二十二刷改版・平成 八 年 二 月二十九日 七 十 二 刷・定価621円・517頁 ※ 帯あり「急逝が惜しまれる――/司馬遼太郎/の本/新潮文庫」裏表紙側「司…

赤堀又次郎伝記考証(55)

昨日で赤堀氏の調査は一旦中断するつもりであった。しかし犬山赤堀家の系譜、赤堀象万侶の明治初年の消息、そして何よりも赤堀氏の著書、校訂書から窺える動向、言語取調所・日本図書館協会・国書刊行会での活躍、完璧な著述目録、そして旧蔵書目録など、既…

赤堀又次郎伝記考証(52)

深沢秋男は筆まめな人で、重友毅門下生で近世初期文芸研究会を結成し、年刊で「近世初期文芸」を刊行、晩年には同じ体裁で「芸文稿」と云う同人誌を刊行していた。その旁らネットでの情報発信も活発にしていた。最晩年には「近世初期文芸」「芸文稿」とも引…

赤堀又次郎伝記考証(45)

・反町茂雄「辞書のはなし」(3) 『反町茂雄文集』はとっくに返却してしまって、俄に確認しに行くことも出来ないのだが、『下』巻末左開き36頁の「索 引」を見るに、1頁左22行めに、 赤堀又次郎 上128 とあること、そして34頁右27~28行めに、 横尾勇之助…

赤堀又次郎伝記考証(41)

・齋藤精輔「日本百科大辭典編纂の由來及變遷」 以前、笹野堅の事績を調べていたときには『日本文學大辭典』を、中込重明のように頭から読んでいられないので、当りを付けては、江戸時代後期の読本を中心とした笹野氏の執筆項目を拾って行ったのだった。しか…

赤堀又次郎伝記考証(39)

・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(9) 斎藤精輔『辞書生活五十年史』に関しては昨日で切り上げようと思っていたのだが纏まらなかったので、続き。 稲村徹元(1928生)とは何処かで見たような名前だと思ったら、2022年11月23日付「…

赤堀又次郎伝記考証(34)

昨日の続き。 ・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(5) 佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」は、続いてⅱ頁5~15行め、古典講習科について説明する。これは石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』の「赤堀又次郎」項に拠…

赤堀又次郎伝記考証(25)

・赤堀象万侶⑩好古會 赤堀象万侶は4月8日付(18)に見たように、明治8年(1875)以来明治30年(1897)4月まで、岐阜県武儀郡関町に住んで幾つかの神社の神職を兼ねていたらしい。 その後であるが、東京で開かれていた好古会の記事に姿を見せている。 ・宮崎…

赤堀又次郎伝記考証(24)

・赤堀象万侶⑨赤堀佐渡子・中島セキ 昨日は「群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の「(二)今井赤堀氏の系譜」に「前述」されている【赤堀瀬兵衛】に関す…

赤堀又次郎伝記考証(22)

赤堀象万侶⑦『赤堀氏旧記』2 昨日の続きで「群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の、群馬県佐波郡赤堀村今井(現・伊勢崎市赤堀今井町)の赤堀鉊三郎が纏…

赤堀又次郎伝記考証(21)

・赤堀象万侶⑥「赤堀氏旧記」1 赤堀氏は、東京帝国大学文科大学講師時代「三重」を本籍地としていた。 しかし明治初年まで犬山針綱神社神官であった赤堀象万侶の子である。かつ、明治20年代には犬山壮年會に参加、同年生れの犬山藩士の長男・水谷叔彦の英国…

赤堀又次郎伝記考証(20)

・赤堀象万侶⑤水谷眞清・叔彦 赤堀象万侶は神官にして国学者・歌人であったのだがその著作は伝わっていないようだ。 ・『犬山』明治三十八年八月十五日印刷・明治三十八年八月二十日發行・犬山壮年會(東京)・目次+口絵+六十頁 口絵の次にある序に当たる…

赤堀又次郎伝記考証(19)

・赤堀象万侶④上田仲敏 最初「犬山壮年會雜誌」に赤堀象万侶の名を見付けたとき、親類だろうと思った。その後近藤秀胤書写本『犬山里語記』に赤堀象麻呂藤原朝臣秀雅の名を見て、赤堀氏の祖父か父ではないか、と思った。その後気を付けていると、赤堀氏と赤…

赤堀又次郎伝記考証(18)

・赤堀象万侶③武儀郡諸社の神官 ・倉知土地改良編集委員会 編『山野豊/倉知の土地改良史と倉知の歴史』昭和六一年三月二〇日 印刷・昭和六一年四月 一 日 発行・倉知土地改良区・口絵+八八一頁 八八一頁に顔写真付で〈監修者紹介〉として吉岡勲(1914.3.23…

赤堀又次郎伝記考証(17)

・赤堀象万侶②和歌 赤堀象万侶の名は「犬山壮年會雑誌」にも見える。3月25日付(04)に、印刷発行日と本体の頁数のみメモした、明治22年(1889)2月23日印刷・出版の第五號、「講義」に続いてノドが綴じ込まれているので見えないが、第六號と同様の「犬山壮…

赤堀又次郎伝記考証(16)

・赤堀象万侶①『犬山里語記』著者自筆本所蔵者 私は赤堀秀雅を、赤堀又次郎の一人息子と前提して組み立てて来た。その理由はまづ、①同姓で住所が同じこと。②慶應二年(1866)生と明治32年(1899)生の年齢差が如何にも親子らしく思われること。ちなみに赤堀…

赤堀又次郎伝記考証(15)

・赤堀秀雅③ 赤堀秀雅の名は、ダイヤモンド社が刊行していた『ポケツト/会社職員録』にも見えている。 ・第四回〔昭和十四年版〕昭和十三年十二月 十 日 印 刷・昭和十三年十二月十三日 發 行・定價二圓五十錢・一四+五+八四五+一四五頁 第三回までは自…

赤堀又次郎伝記考証(13)

・赤堀秀雅① さて、赤堀氏の家族であるが、昨日まで引用した反町茂雄『一古書肆の思い出』には「奥さん」しか登場しない。従って、市谷加賀町及び早稲田南町の古家で赤堀氏は老妻と2人で侘住いをしており、赤堀氏が病歿した後は未亡人が独居していて戦災に遭…

赤堀又次郎伝記考証(10)

・反町茂雄『一古書肆の思い出』2 賈を待つ者(2) 昨日の続き。引用の要領は昨日に同じ。 ①119頁5行め~120頁11行め②125頁4行め~126頁11行め、 十一年に、市ヶ谷加賀町から、早稲田南町四へ引越されました。新居は夏目漱石邸のすぐそ|ばで、/広からぬ…

赤堀又次郎伝記考証(09)

3月24日付(03)の最後に予告してから随分迂回したが、ここで市谷加賀町の赤堀家を何度となく訪問している人物の回想を見て置こう。 ・反町茂雄『一古書肆の思い出』2 賈を待つ者(1) 書影や刊年、初出等については3月12日付「反町茂雄『一古書肆の思い出…

赤堀又次郎伝記考証(08)

・神宮教院本教館と古典講習科 「犬山壮年會雜誌」に「古典講修科」とあったのに引っ掛かってしまい滞っていたのだが「古典講習科」ならば幾らも論文がある。登場する人名も、全く知らない人ではない。ただ、私の専門の先行研究は、江戸時代後期の考証家の次…

赤堀又次郎伝記考証(07)

これまで、近年の赤堀氏に関する論文・言及を取り上げて来なかった。ここまで手を拡げるつもりではなかったからである。 しかし、ここまで来るとそれらも押さえて置くべきであろう。――例えば、赤堀氏と東洋大学の関係に気付いたところで、次の論文の存在に気…

赤堀又次郎伝記考証(06)

今日は市谷加賀町二丁目、そして早稲田南町への転居について筆を及ぼすつもりであったが、もう少々それ以前の学歴・職歴・住所に関する資料を漁って置きたい。 ・『東京帝国大学一覧』 「大学一覧」は大学の年間予定、沿革、法令、規程、在職の教員と在学生…

赤堀又次郎伝記考証(05)

昨日の続き。 ・「犬山壮年會雜誌」(2) 第十三号から第三十七号までは国立国会図書館には所蔵がない。番号を打ち直して「第一輯」として「第十二輯」まで刊行された12冊は国立国会図書館に所蔵されており、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来…

赤堀又次郎伝記考証(04)

・「犬山壮年會雜誌」の連載と住所(1) 昨日の最後に見た『國語國文學年鑑』第貳輯に、当時の赤堀氏の住所が牛込区早稲田南町四番地とあることについて、その転居時期に触れた文献を取り上げる予定であったが、その前に赤堀氏の学歴に関連して、昨日の最初…

赤堀又次郎伝記考証(03)

・住所と原籍 ところで『御即位及大嘗祭』自跋に明治45年(1912)5月1日に「電車の為に負傷」とあることから、この辺りに絞って国立国会図書館デジタルコレクションを検索して見るに、事故のことは判らなかったが、当時の赤堀氏の住所と生年月日が判明した。…

竹中労の前半生(08)

・竹中英太郎の住所① 昨日取り上げた昭和七年版『現代日本名士録』に、竹中英太郎の住所が「中野町西町一五」とあった。竹中英太郎が中野に住んでいたことは、従来知られていなかった(と思う)、 そこで、この頃の竹中英太郎の住所を、年鑑類で確認して見よ…

道了堂(119)

・Wikipedia「道了堂跡」項の修正 以前から私は Wikipedia「道了堂跡」項の記述には問題があると思っておったのですが、2022年5月16日付(054)に述べたように、2022年5月10日に為された加筆を切っ掛けにして、下線を引いた箇所(Wikipedia では点線で表示)…

赤いマント(362)

昨日の続き。 ・關寛之『日本児童宗教の研究』(4) 次に来るのは、三三四~三三八頁「3 宗教及び傳承の傳播の文獻的研究」で、「序説」の「研究の範圍」では「民族的研究―その穩和傳播型―」の次にあった「民族的研究―その急激傳播型―」は、飛ばされた恰好…